リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

誰がスポーツを政治利用しているか

2021-07-09 | 一般
「スポーツと政治は別」というのは当たり前だと思っていた。だから先日の新聞で、五輪だけが「スポーツと政治は別」の建前のもと社会的問題に目をつぶっているとの批判を読んだときにも(日ごろオリンピックに批判的な私も)共感する気になれず、記事を記録しておかなかった。大坂なおみ選手が黒人問題で意思表示をしたときにも、世間での称賛の声とは裏腹に、私には違和感があった。だが他の例も含め、昨今ではそのようなスポーツ選手の意思表示が是認されているようだ。とはいえ、「復興五輪」を掲げる東京オリンピックの聖火リレーで、あるランナーは、東日本大震災の津波で亡くなった小学生だった娘が遺した名札を付けて走ることが許されなかったという話を今朝の投書欄で読んだ。やはり五輪は特別厳しいのか。このへんになると、政治云々ではなく、スポンサーに配慮してとにかく何でも禁止しているようにしか思えないが。

参加者による意思表示とはべつに、参加そのものが主催国に協力することになるという問題もある。
当面気がかりなのは東京の次に予定されている北京五輪だ。南シナ海や東シナ海での力による現状変更や、台湾問題での強硬姿勢にとどまらず、香港ではこのたびあからさまな言論封殺に乗り出している。そんな中国で開かれるオリンピックに参加することで、中国の政権に協力していることにならないか。それともあくまでも「スポーツは別」を貫くべきなのだろうか。冷戦時代、モスクワ五輪(1980)とロス五輪(1984)の相互ボイコットの際にはスポーツに政治を持ち込むな、という批判が多かったように思うがどうなのだろう。
今回の東京五輪にしても、公式サイトの日本の地図に竹島が描かれているため韓国ではボイコットの動きがあるという(ismedia)。このあたりになると、ボイコットする側の政治的主張という色合いが強い。

「スポーツの場での政治的・社会的な意思表示が許されるかどうか」という問題は、意思表示の内容への賛否とは別に考えられるのが本来ではあるが、やはり人類の普遍的な価値に沿った主張に限って許容されると思うべきだろう。だから黒人差別への反対は許容されるし、領土問題をめぐる主張はNGだろう。ただ、どこまでが普遍的価値かという問題があるので結局、一律禁止にするしかないのかもしれない。(たとえば香港での言論弾圧は普遍的価値に反すると思うが、だから北京五輪をボイコットすべきかと言われれば私もにわかには首肯しがたい。)

主催国による政治利用といえば、東京オリンピックに関しては、安倍・菅政権が露骨に政治利用している。「オリンピックでお祭り気分を盛り上げて総選挙に勝利」という図式にこだわるあまり、直前まで有観客での開催にこだわり続けた。そもそも延期を1年に留めたのも、世論の求める中止が相手にされなかったのも、日本政府の意向が強く反映していると思われる。これほどまでに開催国の政府が五輪を政治利用するというのは、他の五輪でもそうだったのだろうか。

追記:さすがにIOCも開催都市契約に人権保護に関する条項を盛り込むことを2014年に決めていた(Human Rights Watch)。だが人権や反汚職、持続的発展に関する条項が盛り込まれるのは2024年の大会からだと2017年に発表された(CNN)。問題になりそうな中国・北京での2022年冬季五輪は対象外のようで、開催都市契約(pdf)を見ると、サステナビリティについては21条に規定があるが、人権の語は見当たらない。開催が決まったのは2015年だというのに、IOCは何をしていたのだろう。これでは「人権」は本気ではなかったと思わざるを得ない。

追記:宗教的、人種的な宣伝活動は五輪憲章50条で禁止されているが、禁止される行動を具体的に示すガイドラインが2020年1月に発表され、東京五輪から適用されることになった(asahi.com)。だが2020年5月にブラックライブズマター(BLM)運動が再燃してイベント時に抗議行動を行うスポーツ選手が増えていた。そんな流れの中、開催直前の2021年7月になって、IOCは一部抗議を違反対象から外すと発表した。選手やチーム紹介時など、競技開始前に限って認めたという(朝日新聞2021-8-9BBC News)。


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