民主党政権(2009-2012)最後の野田首相の談話(朝日新聞2018-6-24)が面白かった.韓国の李明博大統領の竹島上陸がなければ政権に返り咲いた自民党の総裁は谷垣氏であり,今の安倍政権はなかったというストーリーになっているのだ.ウィキペディア等で時系列を補足しつつ,野田氏のストーリーを追ってみる.
日本の財政事情が先進国最悪レベルであり,財政再建は待ったなしの状態だ(今も,当時も).野田首相は「政治生命をかけて消費増税を決め」た.これは間違いではない.
2012年3月30日に野田内閣は消費税増税法案を提出した.だが政権交代のたびに政策がひっくり返されるのでは一貫した政策を遂行できないことから,6月に当時野党だった自民党・公明党との話し合いにより法案の修正協議を行い,「三党合意」に至った(ウィキペディア).これで将来自民党が政権に返り咲いたとしても消費税を8%,次いで10%にすることは政争の具にすることなく遂行することが決められた.
6月中に衆院を通過した消費増税法案の参院での採決を前に,8月8日,野田首相は自民党の谷垣総裁と公明党の山口代表と会談し,「近いうちに国民に信を問う」ことを約束して,法案への賛成を取り付けた.2日後の8月10日に消費増税法案(「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律案」)が国会で成立した(財務省).
野田氏は談話で「近いうち」とは9月までの「国会会期中に解散する腹づもりでした」と言う.だが消費増税法案が成立したその日に韓国の李明博大統領が竹島に上陸した(ウィキペディア).野田氏が言うには,そのせいで外交問題で手いっぱいになってしまい,「解散の前提だった特例公債法案などの懸案を谷垣さんと話し合えなくなってしまいました.もし予定通り9月の自民党総裁選前に解散していたら,谷垣さんが私の次の首相になって」いたはずだという.
結局,11月に野田首相は電撃的に解散を決定した.谷垣氏は9月に総裁任期が満了して,安倍氏が決選投票にもつれ込んだ総裁選で総裁の座についていた.
11月16日に衆院は解散され,12月16日の総選挙では民主党は大敗,第二次安倍内閣が成立した.
私も自民党政権だとしたら谷垣氏がいいと思っていたので今回の野田元首相の談話を読んで面白かったのだが,野田首相は当時も「近いうち」とはいつだとたびたび問われたがなかなか時期を明言しなかったように思う.それに谷垣氏は自民党内を掌握できなかったとして9月10日にはすでに総裁選への再出馬を断念していたから(ウィキペディア),9月中に野田首相が解散に踏み切っていたとしても,谷垣政権が誕生していたかどうかは覚束ない.(細かい点だが,「特例公債法案」が解散の前提だったというのは三党合意に含まれていたのだろうか? だとしたら11月の解散時にはその「前提」はクリアされていたのだろうか? どうも違う気がする.)
そしてそもそも,野田内閣の支持率は低迷して野田首相は求心力を失っていたというのが解散に踏み切れなかった真因だろう.だが8月に「近いうち」と表明した手前,逃げ切れなくなって11月にやぶれかぶれの解散に打って出た,というのが私の印象だ.当事者の回顧談は重要だが,ファクトチェックせずにうのみにすると間違った歴史を残すことになってしまう.
民主党政権には問題がたくさんあったが,消費増税を政争の具にせず,政権交代があっても財政再建を着実に遂行することを決めた一点だけは評価できると思う.今回経緯を見直してみて改めて思ったのだが,問題はむしろ,その点で民主党内をまとめきれずに小沢一郎氏らの造反を招いたことではないだろうか.きちんと党内をまとめれいれば,8月に「近いうちに解散」を約束せずにすんだのではないか.――と書いてから思ったが,やはり民主党政権には問題が多すぎた.中国漁船体当たり事件や東日本大震災という不運も重なったとはいえ,民心はすっかり離れていた.支持率が低迷すれば消費税問題がなくても造反は起こったろう.韓国大統領の暴挙があろうがなかろうが,解散の主導権を握ることはすでに民主党にはできなかっただろう.
日本の財政事情が先進国最悪レベルであり,財政再建は待ったなしの状態だ(今も,当時も).野田首相は「政治生命をかけて消費増税を決め」た.これは間違いではない.
2012年3月30日に野田内閣は消費税増税法案を提出した.だが政権交代のたびに政策がひっくり返されるのでは一貫した政策を遂行できないことから,6月に当時野党だった自民党・公明党との話し合いにより法案の修正協議を行い,「三党合意」に至った(ウィキペディア).これで将来自民党が政権に返り咲いたとしても消費税を8%,次いで10%にすることは政争の具にすることなく遂行することが決められた.
6月中に衆院を通過した消費増税法案の参院での採決を前に,8月8日,野田首相は自民党の谷垣総裁と公明党の山口代表と会談し,「近いうちに国民に信を問う」ことを約束して,法案への賛成を取り付けた.2日後の8月10日に消費増税法案(「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律案」)が国会で成立した(財務省).
野田氏は談話で「近いうち」とは9月までの「国会会期中に解散する腹づもりでした」と言う.だが消費増税法案が成立したその日に韓国の李明博大統領が竹島に上陸した(ウィキペディア).野田氏が言うには,そのせいで外交問題で手いっぱいになってしまい,「解散の前提だった特例公債法案などの懸案を谷垣さんと話し合えなくなってしまいました.もし予定通り9月の自民党総裁選前に解散していたら,谷垣さんが私の次の首相になって」いたはずだという.
結局,11月に野田首相は電撃的に解散を決定した.谷垣氏は9月に総裁任期が満了して,安倍氏が決選投票にもつれ込んだ総裁選で総裁の座についていた.
11月16日に衆院は解散され,12月16日の総選挙では民主党は大敗,第二次安倍内閣が成立した.
私も自民党政権だとしたら谷垣氏がいいと思っていたので今回の野田元首相の談話を読んで面白かったのだが,野田首相は当時も「近いうち」とはいつだとたびたび問われたがなかなか時期を明言しなかったように思う.それに谷垣氏は自民党内を掌握できなかったとして9月10日にはすでに総裁選への再出馬を断念していたから(ウィキペディア),9月中に野田首相が解散に踏み切っていたとしても,谷垣政権が誕生していたかどうかは覚束ない.(細かい点だが,「特例公債法案」が解散の前提だったというのは三党合意に含まれていたのだろうか? だとしたら11月の解散時にはその「前提」はクリアされていたのだろうか? どうも違う気がする.)
そしてそもそも,野田内閣の支持率は低迷して野田首相は求心力を失っていたというのが解散に踏み切れなかった真因だろう.だが8月に「近いうち」と表明した手前,逃げ切れなくなって11月にやぶれかぶれの解散に打って出た,というのが私の印象だ.当事者の回顧談は重要だが,ファクトチェックせずにうのみにすると間違った歴史を残すことになってしまう.
民主党政権には問題がたくさんあったが,消費増税を政争の具にせず,政権交代があっても財政再建を着実に遂行することを決めた一点だけは評価できると思う.今回経緯を見直してみて改めて思ったのだが,問題はむしろ,その点で民主党内をまとめきれずに小沢一郎氏らの造反を招いたことではないだろうか.きちんと党内をまとめれいれば,8月に「近いうちに解散」を約束せずにすんだのではないか.――と書いてから思ったが,やはり民主党政権には問題が多すぎた.中国漁船体当たり事件や東日本大震災という不運も重なったとはいえ,民心はすっかり離れていた.支持率が低迷すれば消費税問題がなくても造反は起こったろう.韓国大統領の暴挙があろうがなかろうが,解散の主導権を握ることはすでに民主党にはできなかっただろう.