兵庫県の斎藤元彦知事らが内部告発された問題を調査してきた県議は、虚偽の内容を含むSNSでの誹謗中傷にさらされ、一人は死亡した。自殺とみられるという。
世の中でおかしなことがあったとき、不正を正したいとしてSNSで運動を起こす――そのこと自体は問題ではないはずだ。当ブログでも安倍元首相などに対して批判的な記事を多数書いてきた。だが兵庫では現に自殺者が出てしまった。何が問題だったのだろう。
死亡した県議と同じように虚偽の内容を含むSNSでの誹謗中傷にさらされてきた別の県議を取材した記事を見た(朝日新聞2025-1-24)。今回の場合、どうやらSNSでの誹謗中傷に留まらなかったようだ。
電話やメールによる直接の批判もあり、選挙期間中は1日30件くらいあって、5件ほどは「死んでまえ。ボケ、アホ」などと留守電に残っていたこともあるという。この例のような暴言は論外として、大昔には左派だって「××大臣に抗議の電話をしましょう」のようなことをしていたはず。だが昨今は自宅にまで電話が行ったり、物理的ないやがらせをされたりということもあるようだから、そこは一線を画すべきだろう。(そもそもいやがらせは批判ではないから言論の自由には該当しない。)また、当事者に直接声を届けるということ自体も、一概に否定はできないのかもしれないが、少なくともその宛先は仕事場であるべきだし(自宅兼事務所というのもあって難しいが)、SNSで動員が容易になった今、昔よりも節度が求められるのではないだろうか。
SNSに話を戻すと、もちろん言論の自由は大切だから規制には慎重になるべきで、批判投稿が盛り上がること自体は仕方がない。誹謗・中傷は批判ではないとして「ヘイト」に準じた規制はできるかもしれないが、これも線引きが難しい。せめて事実に反することはすみやかに削除、発信者情報の開示が行われるようになってほしい。取材を受けた県議の場合、県職員アンケートで出た疑惑を確認するために言及しただけなのに「捏造」と言われ、また告発の件を調査する立場なのに「告発文書の作成に関わった」とする動画も拡散されたという。ユーチューブの運営会社に虚偽を含む削除・発信者情報の開示を請求したが、25件中削除されたのは5件くらいで、20件は開示に応じられずに裁判になっているという。プラットフォームとしても安易に応じるわけにはいかないだろうが、県議もいうように、「裁判になって時間がかかるうちに再生回数は回り切って、動画作成者は収益を得ている」という「やったもん勝ち」の状況はなんとかする責任があるのではないか。県議は個人が要請したらファクトチェックしてもらえる第三者機関があればいいと提案する。悪くはないが、膨大な要請が来て対応できなくなることは目に見えているような気がする。やはりもうけを得ているプラットフォーム自身が、もう少し対策をきちんとすべきだと思う。
発信者自身の自覚が問われることももちろんだ。特に影響力の大きな人ほど誹謗・中傷、ましては虚偽の情報の拡散はしてはならない。今回の場合、「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首は亡くなった県議が逮捕される予定だったという虚偽の情報を拡散した(文春オンライン2025-1-23、asahi.com2025-1-23)。あまつさえ氏は、県警に取材して逮捕予定がなかったと報じた新聞記事について「うそつき朝日新聞は逮捕や任意の事情聴取がなかったと言っていますが、まったく信用できないと私は思っています」と述べる動画を配信したという(asahi.com)。その後、X(元ツイッター)で「警察の捜査妨害になる可能性があるので、竹内元県議の刑事事件に関する、発信は削除させて頂きました!」と投稿して関連する書き込みや動画を削除したというが、取材をもとに逮捕予定を否定する(正しい)記事を「うそ」と決めつける、ということを公党の党首がやるという見識が信じられない。立花氏は、パワハラ疑惑などで不信任決議を受けて失職した斎藤知事の再選が問われた兵庫県知事選で、自らの当選ではなく斎藤氏を当選させる目的で立候補し、百条委員会委員長の自宅兼事務所の前で委員長を非難する街頭演説を繰り広げた。「引きこもってないで家から出てこい」「これ以上脅して奥谷が自死しても困るので、これくらいにしておく」とまで言ったというから、自分の行動が相手を自死の寸前まで追い込んでいるという自覚はあるのだろう。
(YAHOO!ニュース2025-1-21、YAHOO!ニュース2024-11-26)。
SNSに投稿する個人個人が、自分の投稿が誹謗中傷でなく批判になっているか、ということをよくよく意識してほしいのはもちろんだが、影響力の大きな公人には最低限のモラルは守ってほしい。
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世の中でおかしなことがあったとき、不正を正したいとしてSNSで運動を起こす――そのこと自体は問題ではないはずだ。当ブログでも安倍元首相などに対して批判的な記事を多数書いてきた。だが兵庫では現に自殺者が出てしまった。何が問題だったのだろう。
死亡した県議と同じように虚偽の内容を含むSNSでの誹謗中傷にさらされてきた別の県議を取材した記事を見た(朝日新聞2025-1-24)。今回の場合、どうやらSNSでの誹謗中傷に留まらなかったようだ。
電話やメールによる直接の批判もあり、選挙期間中は1日30件くらいあって、5件ほどは「死んでまえ。ボケ、アホ」などと留守電に残っていたこともあるという。この例のような暴言は論外として、大昔には左派だって「××大臣に抗議の電話をしましょう」のようなことをしていたはず。だが昨今は自宅にまで電話が行ったり、物理的ないやがらせをされたりということもあるようだから、そこは一線を画すべきだろう。(そもそもいやがらせは批判ではないから言論の自由には該当しない。)また、当事者に直接声を届けるということ自体も、一概に否定はできないのかもしれないが、少なくともその宛先は仕事場であるべきだし(自宅兼事務所というのもあって難しいが)、SNSで動員が容易になった今、昔よりも節度が求められるのではないだろうか。
SNSに話を戻すと、もちろん言論の自由は大切だから規制には慎重になるべきで、批判投稿が盛り上がること自体は仕方がない。誹謗・中傷は批判ではないとして「ヘイト」に準じた規制はできるかもしれないが、これも線引きが難しい。せめて事実に反することはすみやかに削除、発信者情報の開示が行われるようになってほしい。取材を受けた県議の場合、県職員アンケートで出た疑惑を確認するために言及しただけなのに「捏造」と言われ、また告発の件を調査する立場なのに「告発文書の作成に関わった」とする動画も拡散されたという。ユーチューブの運営会社に虚偽を含む削除・発信者情報の開示を請求したが、25件中削除されたのは5件くらいで、20件は開示に応じられずに裁判になっているという。プラットフォームとしても安易に応じるわけにはいかないだろうが、県議もいうように、「裁判になって時間がかかるうちに再生回数は回り切って、動画作成者は収益を得ている」という「やったもん勝ち」の状況はなんとかする責任があるのではないか。県議は個人が要請したらファクトチェックしてもらえる第三者機関があればいいと提案する。悪くはないが、膨大な要請が来て対応できなくなることは目に見えているような気がする。やはりもうけを得ているプラットフォーム自身が、もう少し対策をきちんとすべきだと思う。
発信者自身の自覚が問われることももちろんだ。特に影響力の大きな人ほど誹謗・中傷、ましては虚偽の情報の拡散はしてはならない。今回の場合、「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首は亡くなった県議が逮捕される予定だったという虚偽の情報を拡散した(文春オンライン2025-1-23、asahi.com2025-1-23)。あまつさえ氏は、県警に取材して逮捕予定がなかったと報じた新聞記事について「うそつき朝日新聞は逮捕や任意の事情聴取がなかったと言っていますが、まったく信用できないと私は思っています」と述べる動画を配信したという(asahi.com)。その後、X(元ツイッター)で「警察の捜査妨害になる可能性があるので、竹内元県議の刑事事件に関する、発信は削除させて頂きました!」と投稿して関連する書き込みや動画を削除したというが、取材をもとに逮捕予定を否定する(正しい)記事を「うそ」と決めつける、ということを公党の党首がやるという見識が信じられない。立花氏は、パワハラ疑惑などで不信任決議を受けて失職した斎藤知事の再選が問われた兵庫県知事選で、自らの当選ではなく斎藤氏を当選させる目的で立候補し、百条委員会委員長の自宅兼事務所の前で委員長を非難する街頭演説を繰り広げた。「引きこもってないで家から出てこい」「これ以上脅して奥谷が自死しても困るので、これくらいにしておく」とまで言ったというから、自分の行動が相手を自死の寸前まで追い込んでいるという自覚はあるのだろう。
(YAHOO!ニュース2025-1-21、YAHOO!ニュース2024-11-26)。
SNSに投稿する個人個人が、自分の投稿が誹謗中傷でなく批判になっているか、ということをよくよく意識してほしいのはもちろんだが、影響力の大きな公人には最低限のモラルは守ってほしい。
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