リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

原発汚染水:正常化にはまず原発行政への信頼回復を

2019-10-03 | 政治
東京電力福島第一原発の敷地内に処理済みの汚染水がたまり続けている問題で、9月には韓国がIAEA(国際原子力機関)で「今も解決されていないままで、世界中に恐怖や不安を増大させている」などと述べた(朝日新聞2019-9-17など)。日韓問題がこじれまくっている今言われるとカチンとくるが、汚染水については日本人だって懸念しており、「丁寧に説明してきている」という日本政府の主張に説得力は感じられない。「丁寧に説明」は安倍首相やカジノを推進する林文子・横浜市長(過去ブログ)などが多用していてそもそも空疎な言葉に堕してしまっているのだが、原発行政についても例外ではない。

前環境相が退任直前に「海洋放出しかない」旨の発言をして批判を浴びたが、「科学的」にはこれはありえない話ではない。トリチウム(三重水素)は水分子の形で存在するので、汚染水をどんなに処理しても分離するのは難しく、世界各地でも、濃度を下げて海に放出するのは普通に行なわれている。それにトリチウムの半減期は12年だというから、何万年も環境中に残存するというものではない。それなのに海洋放出に国内外でこれほどの反発があるというのは、「安全と安心は異なる」からだ。いくらデータ上安全だと言っても、海産物への風評被害などもあるだろう。
風評被害を悪化させるのは、政府の原発政策の不透明さだ。各地の原発の耐用年数を定めたのだって骨抜きにする動きがあるし、再稼働だって「再稼働ありき」で活断層の情報などが十分に生かされていないきらいがある。そういう政府に「安全」だと言われても安心できるはずがない。

さらに悪いことに、「科学的には安全」すらも怪しい。1年前、浄化した水の8割超でトリチウム以外の放射性物質が放出基準を超えて残っていたことは明るみに出たという(朝日新聞2019-9-26夕刊)。こういうことが伏せられていたとすると、トリチウムだけ考えて安全そうだから放出を認めよう、ということすらできないではないか。

まずは原発の安全性に関して謙虚に現実を見据えた対応をすることだ。(そして原子力に限らず「丁寧な説明」が空虚な言葉でないことを実で示してほしい。)


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