リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

従軍慰安婦問題は「慰謝料詐欺」ではない

2017-07-07 | 政治
私は第二次大戦時の日本の加害責任は十分認識していて,侵略の否定や靖国神社の公式参拝などは許しがたいと思うが,それでも,賠償問題については居心地の悪さがある.
昨年は,三菱マテリアルが戦時中に過酷な労働を強いられた中国人の元労働者と遺族に対し,一人当たり約170万円を支払うなどの条件で和解したという(NHK).国家間では賠償問題は決着がついているにもかかわらず,次から次へと賠償請求の裁判が起こされる.日本の最高裁で却下が確定しても中国や韓国の裁判所に舞台を移して争われる(その後また似たような話があった:産経新聞;その後の朝日新聞の社説).そんなニュースに接していると,加害責任を認めようとしない政府を恥ずかしいと思う私でも,まるで追突被害者が「むちうち」をいつまでも訴える慰謝料詐欺に遭ったような気持ちにさせられる.

だがどうやらそんな気持ちは私の理解不足だったようだ.

戦時中の被害の補償を求める動きは中国や韓国だけではなかった.日本でも戦争中の空襲被害者の救済が課題になっているという.軍人・軍属だった人には恩給が支給されたものの,一般の民間人には何の補償もなかったが,国の起こした戦争の被害者を放置できないとして戦後70年を機に超党派の動きにより「身体障害を負った人に限り50万円を支給する」という素案までできたという(実現の見通しは立っていないが).(朝日新聞2017年7月6日「記者有論」)
日本の同盟国だったドイツの企業に対しても1990年代後半に訴訟が相次ぎ,2001年から(公式な「賠償」ではないものの)補償金の支払いが行われたという(Wikipedia).
中国や韓国からの相次ぐ訴えは,決して中国人や韓国人が日本企業いじめで行なっているわけではない.同じような動きは日本人被害者や,ドイツによる被害者の間でもある.そういう大きな流れを理解すると,少しは気持ちの整理がつく.

(なお,従軍慰安婦問題については対象者はお金を求めているわけではないと言っていたように記憶している.日本としてはいくら謝っても,いくら補償しても次から次へと新たな要求をつきつけられるという「謝罪疲れ」もある.だが,閣僚が靖国神社を参拝したり,侵略の事実を否定したりするような態度をとるから誠意が伝わらないのは明らかだ.口先でどんなに謝っても,その一方で加害を否定するような態度をとっていては謝罪の効果も台無しだ.この問題に限っては,賠償よりも心からの反省の意を示すことが解決の糸口になるはずだ.)


追記:韓国にも加害責任の問題はあるようだ.9月23日の朝日新聞によれば,ベトナム戦争時に派遣された韓国軍が現地で非武装の住民らを虐殺した事件があったという.11月29日の朝日新聞にも同じ話題がある.
また,日本の占領時代のアメリカ人による犯罪も数多くあったという.(私が読んだのは百田尚樹氏の小説『海賊と呼ばれた男』だが,たぶんその部分は事実だと思う.)(さらに追記:第二次大戦終戦直後の日本では、政府が米軍による性暴力を恐れて民間業者に慰安所を設置させた史実があるという(朝日新聞2021-11-2夕刊)。)(さらに追記:戦後、連合軍兵士の相手をする日本人売春婦を差す「パンパン」という言葉があったそうだ(朝日新聞2021-11-5)。この場合はもちろん「強制連行」はなかったのだと思うが、問題を広い視野でとらえるためには併せて知っておくべきことだろう。)(さらに追記:藤目ゆき『占領軍被害の研究』という新刊が出たようだ(朝日新聞2022-3-5)。)

「他の国もやってたからいいじゃないか」というのではない.日本の加害責任に対する賠償請求に対し,感情的に反発するのではなく,広い視点から,何が正義かを考えたい.

追記2:賠償問題はアメリカにもある。1988年、レーガン政権は大戦中の日系人収容について謝罪し、生存者に対して1万2000ドルの補償金が支払われることになったそうだ(朝日新聞2019-2-3GLOBE)。アメリカ国内の問題ではあるが、戦後40年以上たったから時効という発想はないようだ。

追記3:アメリカでは黒人奴隷の子孫に補償を求める声が高まっているという(朝日新聞2019-9-11)。人種差別をあおるトランプ大統領の思うつぼということはべつとしても、あまりに古い歴史上の過ちに対する金銭的な補償という発想には違和感を覚える。民主党には賛同する声もあるとのことだが、次の大統領選でトランプ大統領を利するだけではないだろうか。

追記4:戦争での被害に関し講和時に敗戦国に課される賠償金とは別に、個人が損害賠償することについては違和感を感じてきた。ナチスに侵略された国々で被害を受けた人がドイツに個人として損害賠償を請求するといったことがあるのだろうかと(こういう疑問に対して、上記でも「補償金」の例を紹介した)。
国内の話だが、最高裁が1968年に打ち出した理屈として、戦争という非常事態下、身体や財産の被害は、国民が等しく我慢しなければいけない、という「受忍論」があるそうだ(朝日新聞2021-8-2)。これが私の感覚に近い。だから政府は「すべての国民が何らかの戦争の犠牲を負った」(菅首相)との前提に立って、「雇用関係にあった軍人軍属らに補償の対応をしてきた」(厚労相)という立場だという。めずらしく政府見解が私の感覚に合っているのだが、政府と雇用関係のない民間人の被害を補償しようという動きもある。
上記でも「身体障害を負った人に限り50万円を支給する」案を紹介したが、シベリア抑留者に対する給付金支給案などもあるという。だが与党内には慰安婦や徴用工などほかの戦後補償への飛び火を警戒する空気もあるという。当然だ。私も、国内の被害に対して今になって補償するのであれば、やはり慰安婦や徴用工問題も改めて考え直す余地が生じてくると思う。
たしかに軍人・軍属に対する手厚い補償と比べると不公平だという気持ちもわからないわけではない。なので私も全面否定するつもりはないのだが、それだけでなく、広い見地から、何が最善かを考えるべきだ。

追記5:日本の加害の歴史を他国の事情とも比較しつつ広い視点から考えたいと書いたが、そのような考えは「相対化」といって批判されることもあるようだ(朝日新聞2024-8-15)。1980年代のドイツで、ナチスドイツによるホロコーストをソ連の強制収容のような暴力行為と比較して相対化しようとする学説が出て批判され、今ではホロコーストは相対化できない犯罪だったとする解釈が一般的になっているという。その一方で、記事は、「ホロコーストの特別視から一歩進み、植民地主義への責任やホロコーストへの連続性を総括的に検証」することを「歴史家論争2.0」として肯定的に紹介している。「相対化」と「連続性を総括的に検証」はどう違うのだろう。
日本の加害責任を否定している人に言いたい(そういう人は当ブログは読まないだろうが)。日本の加害だけが批判されるのはおもしろくないという点には私も共感する。だから他国の事情も研究して「相対化」することは大いにやっていいと、私は思う。ただ、「相対化」が「矮小化」とならないようにはするべきだ。一方、上記のように歴史的な被害に対する賠償は他国もやっている。そういう「相対化」もすると、少しは気持ちの整理もつくのではないだろうか。



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