リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

自助に努めた人が損する30万円の支援金っておかしくないか

2021-06-02 | 一般
政府は新型コロナウイルスの影響で生活が苦しくなった世帯向けに最大30万円の支援金を配ることに決めたという。だが対象となるのは、無利子の「特例貸し付け」を限度額まで借り入れた世帯が中心だという(朝日新聞2021-6-1)。つまり、同じように苦しくとも借金せずに頑張ってきた人たちはお金をもらえないことになる。
菅政権は、困窮する個人支援のために「緊急小口資金」「総合支援資金」の借入上限額を最大200万円まで広げてきたが、それでも足りない世帯への支援という趣旨らしい。
だが今回は貸し付けでなく給付金だ。苦しくとも借金には頼るまいと頑張ってきた人が損する仕組みはおかしくないか。昨今、奨学金の返済で苦労する人が多いことも報道されているが、たとえ悪意のない公的機関からであっても、返済する見込みのない借金はすべきでないと思う。特定貸し付けの場合、返済の時点で住民税が非課税であるほど低収入であれば返済が免除されるそうだ。だが記事のシングルマザーは、将来自分が該当するかどうかわからないので借り入れをしていないという。私はこれがまっとうな判断だと思える。そういう人が損する仕組みをなぜ平気で打ち出すのだろう。
(そもそも、「返済の時点で住民税非課税なら返済免除」だと、返済を免除してもらうために生活再建に力がはいらない、といったことはないだろうか。奨学金の場合の、「教職についたら返済免除」などはわからないでもない(今はこれは廃止されているそうだ)。だが返済の時点だけみて低収入なら返済免除というのは制度設計としておかしくないだろうか(返済期限の延長が妥当と思うのだが)。)
たしかに昨年の「一律一人10万円」は必要ない人にまで配られ、多くが貯蓄に回ったという。一回きりの支援ではとうていたりないことは私も含め多くの人が指摘していたことだ。赤字まみれの財政から支援する以上、最も必要としている人に支援対象を絞るというのも理解できる。だが今回の「めいっぱい借金している人のみ」という基準は、菅政権が好きな「自助」に努めていた人が損をする不公平な仕組みだ。特例貸し付けが上限に達している人への支援としては、上限の引き上げが妥当ではないか。(それとは別に、特例貸し付けの利用の有無によらない給付金も検討してもいい。)
「給付金で足りない人には無利子の借し付け」というのならわかる。だが「借り入れしても足りない人には給付金」というのは発想が根本から間違っている。自助に努めた人が損をする仕組みは再考が必要だ。



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