43. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ヲ 和の文化と神道 」
儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ヲ 和の文化と神道
日本神話にも、世界の創世物語がある。
だが、神が天地をつくったのではなく、すでに、天地があった。そこに、神が「成りま」せるというと、生成したのだった。
日本人にとっては、神も、人も、自然に生まれてきた。日本には、人が神によって、創られたという、発想がなかった。
絶対神は、独裁政治の芽を、孕んでいるが、神道には、全能の神も、絶対神もいない。それぞれの神が、役割を分担しているから、民主的だ。日本神話を読むと、今日でも、日本人はあの時代から、ほとんど変わっていないことを、教えられる。
太陽神である天照大御神が、天の岩戸に籠ってしまうと、高天原だけではなく、全世界が漆黒の暗闇に、閉ざされてしまった。
八百万の神々が、天の安(あめのやす)の河原に集まって、慌てて、いったい、どうしたらよいか、相談する。日本神話では、神々が額を集めて、協議するのを、「神謀(かむばか)る」という。
天照大御神を、どうしたら、おびき出すことができるのか、さまざまな知恵が、講じられた。
その一つに、長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせることがあった。ニワトリの雄鳥が朝を告げて、声を長くひいて、鳴くことから、そう呼ばれた。だが、功を奏しない。
万策がきわまったところで、女神の天鈿女命(あめのうずめのみこと)が、乳房をあらわにして、裸身の踊りを、演じた。すると、八百万神(やおよろずのかみ)が、高天原に鳴りひびくほど、どっと、笑いどよめいた。
天照大御神が、好奇心をつのらせて、いったい、何が起こったのか、重い岩戸を、少し押し開いて、覗いた。そして、よく見ようとして、半身をせりだしたところで、力持ちの神が、天照大御神の手をとって、力いっぱいに、弾き出した。世界に、再び光が満ちた。
この天の岩屋戸の物語は、きわめて日本らしい。他国の神話には、みられない。
八百万の神々が、「神集(かむつど)ひ集ひまして神謀る」のだが、神々のなかに指導者がまったくいない。他国であれば、全員をまとめて決定する、力をもった者が、かならずいる。
聖徳太子が、このはるか後の604年に、「十七条憲法」を制定して、第一条で「和をもって貴しとなす」と、定めている。
第十条では「自分だけが、賢いと思ってはならない。人にはそれぞれの思いや、考えがある」と、述べている。
第十七条では、「重要なことを、ひとりで決めてはならない。大切なことは、全員で、よく相談しなさい」と、命じている。
十七条憲法は、世界で最古の民主憲法だ。だが、聖徳太子が、ある朝、閃きをえて、思いついたのでは、なかったろう。縄文時代から、このような和の文化が、存在していたはずである。
中国や、韓国では、考えられないことだが、日本では、このような合議制の文化が、神代のころから、あったのだ。
日本神話では、神々が相談して、物事を決めている。江戸幕府では、老中はつねに、三人か、五人の奇数であり、合議して、決定した。
日本では、上に立つ者に、従うのではない。上に立つものが、人々の合意によって選ばれ、物事を決めるのに当たって、人々のコンセンサスを、求めてきた。
神話が虚構ではけっしてなく、今日とつながっていることを、理解していただけただろう。
徳川時代が終わるまでは、神話を「ふること」といった。古言という漢字が、あてはめられた。著者は明治に入ってきた「神話」というよりも、「ふること」のほうが、よいと思っている。
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長