2.紫式部の恋 色好みの男(紫式部ひとり語り)
山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集
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色好みの男と恋をするつらさを宣孝で知る
都と越前とは空荷でも四日かかる距離だが、宣孝はせっせと文をくれ、私も返事を書いた。しかしこの恋は、ただ手放しで恋しいだけのものだった訳ではない。私は時に、宣孝の女関係に苦しめられた。
近江の守のむすめ懸想ず(恋い慕う)と聞く人の「ふた心無し」と常に言ひわたりければ、うるさがりて
湖に 友よぶ千鳥 ことならば 八十の港に 声絶えなせそ
(彼は、近江守のむすめに言い寄っていると噂されている。それなのにいつも私には「あなただけだ」と言って来るのだ。うるさくて私はこう詠んだ。
近江の湖でお友達に声をかけている千鳥さん。そう、あなたのことよ。いっそのこと、そこらじゅうの船着き場で声をかけまくればいいわ。女性に言い寄りたければ、どうぞご自由に)
宣孝はすでに他にも妻がいるのに私に言い寄ってきたのだが、噂ではさらに近江守の娘にも声をかけているという。それにもかかわらず、私への文では「ふた心無し」だ。
全く男というものは、どうしようもない。私は「どこの女にでも声をおかけなさいな」と余裕を見せて詠んだつもりだったが、今読めばやはり怒った口調の歌になっている。大体もとからの妻たちがいるのに「ふた心無し」もないものだ。
だが妻たちは古妻で、私は新しい女だから、彼は私だけに夢中なのだろうと私は思っていたのだ。近江守の娘が相手なら、都からそちらのほうがずっと近く、彼も足を運びやすい。
歌では彼をはねつけたが、私の心はそうではなかった。色好みの男と恋をするつらさを、私は宣孝で知った。
宣孝は芝居気のある人だった。ある時など、文を開けてぎょっとした。白い紙の上に朱の色で滴が垂らしてあるではないか。
文の上に、朱というものをつぶつぶとそそきて「涙の色を」と書きたる人の返り事
紅の 涙いとど 疎まるる うつる心の 色に見ゆれば
もとより人のむすめを得たる人なりけり
(彼ときたら、文の上になんと朱墨をぽとぽと落として「私の涙の色を見て」などと書いてきた。そこで私はこう詠んだ。
紅い涙はいや。だって赤色はすぐに色あせるもの。あなたの移り気な心を表すようで。
彼は、もとからちゃんとした家の娘を妻にしているひとだったのだ)
(「紫式部集」31番)
宣孝は朱墨で「紅涙(こうるい)」を実演して送ってきたのだ。「紅涙」とは、涙を出し尽くして血の涙を流すことを言う。漢文由来の大げさな言い回しだ。
宣孝は、私の冷たさに泣き暮れて、ついには血の涙を流していると言いたいのだ。面白い人だ。そして可愛い人だ。年下の女に甘えかかって、私は紅色がすぐに褪せる色なのを逆手にとって、「紅は嫌だ」と詠んだ。
前の妻たちへの思いが褪せて私に心移りしたように、私への思いが褪せて誰かに心変わりされるのは嫌、私をあなたの最良の女にしてほしい。そんな思いをこめて詠んだのだ。
次回「晩桃花」につづく