見出し画像

gooブログのテーマ探し!

2.紫式部の恋 色好みの男(紫式部ひとり語り)

2.紫式部の恋 色好みの男(紫式部ひとり語り)

山本淳子氏著作「紫式部ひとり語り」から抜粋再編集

**********
色好みの男と恋をするつらさを宣孝で知る

  都と越前とは空荷でも四日かかる距離だが、宣孝はせっせと文をくれ、私も返事を書いた。しかしこの恋は、ただ手放しで恋しいだけのものだった訳ではない。私は時に、宣孝の女関係に苦しめられた。

    近江の守のむすめ懸想ず(恋い慕う)と聞く人の「ふた心無し」と常に言ひわたりければ、うるさがりて

   湖に 友よぶ千鳥 ことならば 八十の港に 声絶えなせそ

   (彼は、近江守のむすめに言い寄っていると噂されている。それなのにいつも私には「あなただけだ」と言って来るのだ。うるさくて私はこう詠んだ。

   近江の湖でお友達に声をかけている千鳥さん。そう、あなたのことよ。いっそのこと、そこらじゅうの船着き場で声をかけまくればいいわ。女性に言い寄りたければ、どうぞご自由に)

  宣孝はすでに他にも妻がいるのに私に言い寄ってきたのだが、噂ではさらに近江守の娘にも声をかけているという。それにもかかわらず、私への文では「ふた心無し」だ。
  全く男というものは、どうしようもない。私は「どこの女にでも声をおかけなさいな」と余裕を見せて詠んだつもりだったが、今読めばやはり怒った口調の歌になっている。大体もとからの妻たちがいるのに「ふた心無し」もないものだ。
  だが妻たちは古妻で、私は新しい女だから、彼は私だけに夢中なのだろうと私は思っていたのだ。近江守の娘が相手なら、都からそちらのほうがずっと近く、彼も足を運びやすい。
  歌では彼をはねつけたが、私の心はそうではなかった。色好みの男と恋をするつらさを、私は宣孝で知った。

  宣孝は芝居気のある人だった。ある時など、文を開けてぎょっとした。白い紙の上に朱の色で滴が垂らしてあるではないか。

    文の上に、朱というものをつぶつぶとそそきて「涙の色を」と書きたる人の返り事

   紅の 涙いとど 疎まるる うつる心の 色に見ゆれば

    もとより人のむすめを得たる人なりけり

   (彼ときたら、文の上になんと朱墨をぽとぽと落として「私の涙の色を見て」などと書いてきた。そこで私はこう詠んだ。

    紅い涙はいや。だって赤色はすぐに色あせるもの。あなたの移り気な心を表すようで。

    彼は、もとからちゃんとした家の娘を妻にしているひとだったのだ)

    (「紫式部集」31番)

  宣孝は朱墨で「紅涙(こうるい)」を実演して送ってきたのだ。「紅涙」とは、涙を出し尽くして血の涙を流すことを言う。漢文由来の大げさな言い回しだ。

  宣孝は、私の冷たさに泣き暮れて、ついには血の涙を流していると言いたいのだ。面白い人だ。そして可愛い人だ。年下の女に甘えかかって、私は紅色がすぐに褪せる色なのを逆手にとって、「紅は嫌だ」と詠んだ。
  前の妻たちへの思いが褪せて私に心移りしたように、私への思いが褪せて誰かに心変わりされるのは嫌、私をあなたの最良の女にしてほしい。そんな思いをこめて詠んだのだ。

次回「晩桃花」につづく
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「紫式部ひとり語り」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事