1. 心から心へ 和泉式部の恋の歌
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集
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和泉式部の恋の歌はどれも切実な実感をたたえていた。「後拾遺集」に収録された歌はほとんどがその歌が詠まれた現場を詞書としてもっている。歌人たちは表現の巧緻による称賛を求める反面では、心から心に伝わる言葉の秘密がどこにあるかを、和泉式部の歌にみていたにちがいない。
夜ごとに来むといひて夜がれ(通ってこなくなること)し侍りける男のもとにつかはしける
こよひさへ あらばかくこそ 思ほえめ けふ暮れぬまの いのちともがな 「後拾遺集」恋三
(今宵という今宵もまた、あなたのことを思って待ち過ごすなら、どんなにつらく、苦しく堪えがたいでしょう。いっそ、夕暮が来ぬまに、この命、消えてしまいたいものです)
毎夜必ず通ってくると言った男の言葉を信じて待っていたのに、男は約束を守らなくなってしまった。その不実な男に向けて、「けふ暮れぬまのいのちともがな」と言い送っている。この歌につづけて収録されている赤染衛門の歌もいい歌で、やはり結句に「いのちともがな」を据えている。
あすならば 忘らるる 身になりぬべし 今日を過ぐさぬ いのちともがな 「後拾遺集」恋三 赤染衛門
「いのちともがな」は、当時すでに恋の情熱をうたう時の常套句であったかもしれないが、それならなお、この一句をうたい据えることにはかなりの自負と言葉のちからが必要である。赤染衛門の場合は、何か言い争いでもしたのか、最愛の夫として知られるようになる大江匡衡(まさひら)が「もう二度と来ないから」と出て行ったあと、昼頃にまた機嫌をなおして再訪、仲直りした時のものだ。「いのちともがな」に高揚した愛情があふれている。
「百人一首」にも「いのちともがな」が一首ある。制作時代はもう少し前になる儀同三司母の歌だ。
忘れじの 行末までは かたければ けふをかぎりの 命ともがな 儀同三司母
儀同三司は、身分の格式を太政大臣、左右大臣に同じくするという意味で、ここでは藤原伊周(これちか:一条天皇の皇后だった定子の兄)のこと。叔父道長との政争に敗れ、一旦太宰権師に左遷されたのち(中宮彰子が道長に懇願して)召喚されてこの待遇を受けることになった。その母は高内侍(こうのないし)とよばれた才媛、高階貴子である。若い日に中関白(なかのかんぱく)道隆(道長の長兄)が通いそめた頃の歌。一夜歓を尽したあとの幸福感に、その愛が長つづきしないのではないかという恐れを内攻しつつうたっている。
この歌や、赤染衛門の歌に比べると和泉式部の歌は暗い。来るといってこない男を待ちつつける不安に耐えかねて、待つ宵より早く死んだ方がましだといっている。
和泉式部はその恋の場の多さによって多恨多情の人とされている。しかし、その恋の求めは好色な風流ではなく、疑似恋愛のの遊戯性ももたない。どこかに求めて求め得ぬ哀しみの情があり、本音のひびきがつたわるものだ。
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」