山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
柏木の一周忌、複雑な思いを抱く光源氏は黄金百両を寄進して供養を行い、夕霧も誠意を尽くす。二歳の薫は歯が生え始め、朱雀院が女三の宮によこした山の幸の筍(たかうな)を噛んだり舐めたりと無邪気である。光源氏は薫を慈しみその誕生を運命と受け入れる気になったが、妻の密通の罪はまだ許せずにいた。
秋、夕霧は柏木の妻で今は寡婦となった落葉の宮(朱雀院と一条御息所の女宮)がその母・御息所と住む一条宮を訪った。落葉の宮と想夫恋を合奏し歌を交わして、夕霧は落葉の宮に心惹かれ、また帰り際には御息所から柏木遺愛の笛を渡された。
戻った自宅では妻・雲居雁がこれ見よがしにふて寝し、子どもたちが寝ぼけていかにも生活感に満ちている。無粋に下ろした格子を上げさせ簀子近くで柏木の笛を吹き、しめやかで雅な一条宮を思いつつ夕霧は眠った。すると夢枕に柏木が立ち、その笛を自分の子孫に伝えてほしいという。霊に感応したか子どもが泣き、夕霧は雲居雁と言い合いになるいっぽう、柏木の愛執に心を致した。
夕霧は六条院を訪問した。折しも薫が明石女御の子らと一緒に遊んでいて、夕霧はその面差しに柏木の面影を見る。「やはり柏木の子か」とも、「まさか」とも思えて、夕霧は光源氏に一夜の夢のことを語る。光源氏は、その笛は本来、皇室に伝えられる名器だと言って自ら預かる。疑いを拭えない夕霧はさらに柏木の遺言を告げて食い下がるが、光源氏は曖昧にしらを切り続けた。
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「笛は 横笛いみじうをかし」。そう「枕草子」に記す清少納言は、根っからの横笛ファンだったようだ。「笛」は管楽器一般を指し、その中には甲高い音の出る縦笛の「篳篥(ひちりき)」や、十七本もの竹管(ちっかん)がパイプオルガンのような和音を紡ぐ「笙(しょう)」などもある。しかし横笛が一番だと、清少納言は言う。遠くから聞こえていた音が、だんだん近づいてくるのが素敵。近かった音が離れていって、遠く微かな残響だけになってしまうのも、また素敵だと。
文章から想像されるのは、夜だ。清少納言は邸内にいて、静かな戸外から響いてくる笛の音に耳を傾けている。楽器の中でも、笛は男性が奏でるもの。どんな殿方が吹いているのだろう? 交尾とを訪う道すがらだろうか? あれこれ思いめぐらしながら聞いている清少納言の、うっとりした表情が見えてくるようだ。
ところで同じ「枕草子」の章段「無名といふ琵琶」には、天皇家の所蔵品、つまり御物である楽器の名がいろいろ記されていて、中には横笛もある。例えば「水竜(すいろう)」。また「釘打(くぎうち)」「葉二つ」。天皇家の宝物だけあってか、どれも意味ありげな名だ。その中でも最後の「葉二つ」は、当代髄一とされた名器だった。そしておそらくはその音色の神々しさからだろう、多くの伝説をまとう笛だった。
説話集「十訓抄(じっきんしょう)」に記される話。ある月夜のことである。源博雅は、朱雀門の前で笛を吹いていた。彼は実在の貴族で、醍醐天皇(885~930年)の孫にあたる。管絃の名手で、逢坂の関に住む蝉丸のもとに三年通って、琵琶の秘曲を伝授された逸話でも有名だ。博雅は笛にも堪能で、熱心だった。朱雀門は大内裏の南の正門で、ここから南に朱雀大路がのびている。幅二十八丈(約八十四メートル)にもなる平安京のメインストリートだが、夜にはほとんど人通りがなかったはずだ。朱雀大路に向かっては、門を設けることが禁じられていたからだ。遠く羅城門まで一直線に続く両側には、築地塀と柳の並木だけ。しかしこの寂しさも、笛を練習するにはもってこいだったのだろう。
以下割愛(「葉二つ」の持ち主の移り変わりと名器の理由の解説が続きます。長文なもので、残念)