ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

わかるって・・

2011-09-21 09:48:31 | ひとの幸福
昔読んだ小説を「あれは面白かった」と思っている。

何がどんなふうに面白かったのか、憶えていない。

「面白かったと思った」それだけを憶えている。

「面白かった、と思った」

それが自分に知れている、わかっている。

その小説が面白かった のでは勿論ない

それを読んで、面白かったと思った私という現象がそのときあった。

通常、「あの小説は面白かった」という表現はするけども、

(言葉は認識なので)


“あの小説”はただ在るだけ。 動かない情報として在るだけであって、

読む人によって面白く思ったり、

面白く思わなかったりする。

同じ人でも何年後かに読んだら面白くないと思ったり・・。

そんなもんだ。


そのことがわかるのではなく、

そのことについて自分が思ったことがわかる。

見る  観る

2011-09-21 09:16:47 | ひとの幸福

パソコンの前の窓に隣の家が見える。  瓦を見た。

例えばここに誰かが来て、その同じ瓦を見たとき・・・

私が見た瓦と誰かが見た瓦はちがう。

見る という現象は同じでも、見たものはちがう。

観たものと書いたほうが適切な表現なんだろうか?

ひとは観ることしか出来ない のだろう・・

見る とはどういうことなのか?

在る と 在ると思う の決定的なちがい。

在る と表現すること自体 在る という認識なんだものなー

ある本に、地球人よりもっと意識的に進化している別の生命体は言葉は使わない、とあった。

誤解がうまれざるを得ない言葉によるコミニュケーションは

コミニュケーションの形としては未熟なもの、 とあった。

以心伝心、かどうかわからないがテレパシーのようなもので交流をする・・とか。


真偽の程はわからないが合点がいく話だと思った。

(あれ、取って)と思う、その意識の内容が相手に届く・意識が伝わる。

相手に依頼する、ことが伝わるのであって、独り言が伝わることは無い。

今の世界に起こっている揉め事はかなり誤解、曲解によるものだと思うので、

そんなテレパシーで意志が伝わったら問題はぐんと減りそう。

そう成る、そう人類が進化するというのは、今の次元の世界では無理と思う。

山岸さんが言った世界が引っ繰り返る とはどういうことなんだろう。

こんな事考えるよりもっと身近なことやれよ、みたいなのもあるけど、探求したくなる。 


遠慮 気兼ね

2011-09-21 08:38:07 | ひとの幸福
遠慮というものがどんなふうに発生するのか、

観てみると、例えば、

ひとに何か して欲しい と言った時に、

聞いたその人が(そんなこと、自分でやるべきだよ~)との判断を持っていて、

その上、(でも、その通りにしないと相手が気を悪くする)と思ってしまい、

「うぅん・・・あー、そう・・は、はい・・」

・・みたいな返事をすることになることもありそう。


その反応を見た人は、

(あっ、本当はやりたくないんだな)と受け取り、

(あっ・・いい・・いいよ・・自分で・・する・・)

・・というような展開になる場合もありそう。


そして、その次から、

そのひとに何か頼むのは遠慮することにもなりそう・・・

・・というようなこともあるかもしれない・・・


遠慮は美徳のように言われるけど、

美徳の遠慮と、

そうでない遠慮と両方あるみたい。

ここでは遠慮しようと、

自分ではっきり自覚ある時というのはある。

そういうのは“スッキリ遠慮”

相手や周りと調和していこうという意志があって、

自分に無理を強いていない。

なので自分の機嫌はムズムズしてない、いい感じ。


“遠慮気兼ね”という言葉通り、

遠慮と気兼ねがセットの奴はいい感じじゃないね~