昔読んだ小説を「あれは面白かった」と思っている。
何がどんなふうに面白かったのか、憶えていない。
「面白かったと思った」それだけを憶えている。
「面白かった、と思った」
それが自分に知れている、わかっている。
その小説が面白かった のでは勿論ない
それを読んで、面白かったと思った私という現象がそのときあった。
通常、「あの小説は面白かった」という表現はするけども、
(言葉は認識なので)
“あの小説”はただ在るだけ。 動かない情報として在るだけであって、
読む人によって面白く思ったり、
面白く思わなかったりする。
同じ人でも何年後かに読んだら面白くないと思ったり・・。
そんなもんだ。
そのことがわかるのではなく、
そのことについて自分が思ったことがわかる。
何がどんなふうに面白かったのか、憶えていない。
「面白かったと思った」それだけを憶えている。
「面白かった、と思った」
それが自分に知れている、わかっている。
その小説が面白かった のでは勿論ない
それを読んで、面白かったと思った私という現象がそのときあった。
通常、「あの小説は面白かった」という表現はするけども、
(言葉は認識なので)
“あの小説”はただ在るだけ。 動かない情報として在るだけであって、
読む人によって面白く思ったり、
面白く思わなかったりする。
同じ人でも何年後かに読んだら面白くないと思ったり・・。
そんなもんだ。
そのことがわかるのではなく、
そのことについて自分が思ったことがわかる。