在りのままの私でいたらいけない。
こんなふうに文章化すると凄い事のように思うけど、
なんで傷ついたのか?と観察すると、
やはりこういうものが自分にあったのだと思う。
「失礼だな」の言葉に傷ついたのではなく、
その言葉を聞いて、
「それは、在りのままの私でいちゃいけないということなんだな」と
他の誰でもない自分がそう受け取ったのだった。
でなければ、傷つくということには成り得ない。
「失礼だな」を聞いて
「へー、そんなふうに思うのか、この人は」と受け取る場合もあれば、
「何がどう失礼なんだろう?どんな感じか、聴いてみよう」
と受け取る場合もあるかもしれない。
選択肢はたくさんある。
それにしても、
在りのままでいてはいけない というくらい辛いことはないと思う。
この、今の、この、私しか、ここにいないのに、
そういう私じゃいけないんだったら、どうしたらいいの?
・・っていう感じに成るのは当たり前だ。
本当に、自縄自縛。
自分以外の誰が自分の心を傷つけられるだろう。
身体は他者によって傷つくことも可能だけど、
自分の心を傷つけることの出来るのは自分以外にない。
そう思っているので、
傷ついちゃった時は、しらべることにしている。
でも自分でも人でも、傷ついてしまうということを否定はしてない。
否定など出来ようも無い。
だって、そうなっちゃうんだから。
なってるもの は なんだって 在るもの。
存在は 否定なんかしようがない。だって 在る。
在るものに 在るな なんて思うことは ナンセンス。