ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

屁 事件 ②

2011-09-29 17:12:05 | 実例体験観察
自然に屁をしたらいけない。

在りのままの私でいたらいけない。

こんなふうに文章化すると凄い事のように思うけど、

なんで傷ついたのか?と観察すると、

やはりこういうものが自分にあったのだと思う。

「失礼だな」の言葉に傷ついたのではなく、

その言葉を聞いて、

「それは、在りのままの私でいちゃいけないということなんだな」と

他の誰でもない自分がそう受け取ったのだった。

でなければ、傷つくということには成り得ない。

「失礼だな」を聞いて

「へー、そんなふうに思うのか、この人は」と受け取る場合もあれば、

「何がどう失礼なんだろう?どんな感じか、聴いてみよう」

と受け取る場合もあるかもしれない。

選択肢はたくさんある。


それにしても、

在りのままでいてはいけない というくらい辛いことはないと思う。

この、今の、この、私しか、ここにいないのに、

そういう私じゃいけないんだったら、どうしたらいいの?

・・っていう感じに成るのは当たり前だ。


本当に、自縄自縛。

自分以外の誰が自分の心を傷つけられるだろう。

身体は他者によって傷つくことも可能だけど、

自分の心を傷つけることの出来るのは自分以外にない。


そう思っているので、

傷ついちゃった時は、しらべることにしている。

でも自分でも人でも、傷ついてしまうということを否定はしてない。

否定など出来ようも無い。

だって、そうなっちゃうんだから。

なってるもの は なんだって 在るもの。

存在は 否定なんかしようがない。だって 在る。

在るものに 在るな なんて思うことは ナンセンス。







屁 事件 ①

2011-09-29 16:41:22 | 実例体験観察

やはり3年位前のことだけど、

屁をした時に夫から「失礼だな」と言われたことがあった。

そういう言葉をどう受け取るかはその時その時違う。

それを誰が言ったか、でも違うだろうし。

親しい人でもその場や、その人の体調や虫の居所や、なんかでも違うし、

自分の体調、気分、でも違う。

「しょうがないでしょ!出ちゃうんだから」と思って、

反発する場合もあると思うし、

「へー、失礼なんて思うんだ」とケロッとする場合もあるだろうし、

関係性が関係あるし、

いろんな状況で変わるものだと思う。


その日その時私はそう言われた。「失礼だな」って。

こうして「言われた」と表現すること自体、

自分が被害者になってる感じ。

心が傷ついた自分だった。

夜になって、「なんで傷ついたんだろう?」って、

傷ついた自分を研究対象にして、しらべた。

傷つくのは楽しい気持ちじゃない。つらい気持ち。

つらい気持ちを持つのはいい気分じゃないので、

いつも快適な気分で居たい私は、

そういうことがあった時は、ゆっくりと一人で時間をとれる時に、

自分のその時の意識を観察し、しらべることにしてる。


心が傷つく場合と傷つかない場合がある。

なので、「相手がそう言った“から”、私は傷ついた」

と言い切ることは出来ないはず・・そう思った。

それを言い切れるなら、どんな場合でも、その言葉を聞いた時に傷つくはず。

ところが、場や人やいろんな条件で自分の心は変わる。

「必ず!傷つく」わけじゃない・・・ということがわかった。

夫のせいにして(夫を加害者にして)

悲しんでいる場合じゃないぞ・・と思った。

そういう言葉を聞いて、それをどう受け取っているのかは自分だ。

他の誰でもない自分が受け取っている。

同じ物を見ても、それから何を感じ取るかは、

その日によって違ったりすることなんか当たり前の現象だものね。

それなのに、その日は心が傷ついた。

その言葉をどう受け取ったのか??・??・・


これだった!!

「自然に出る屁をしてはいけない、

在りのままで居てはいけない」と自分が思ってしまったのだった!

いろんな受け取り方が出来る可能性の中から、

無意識のうちに、そういう受け取り方をした自分だった。

続く・・・