ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

無為自然と委し合い

2014-06-07 10:00:59 | ひとの幸福
「無為自然」て、老荘思想の言葉だと思うけど・・・

いま、ネットで調べたら老子の思想だった。

前もこの言葉を使って考えたことあったけど、

今朝がた、夢かうつつか・・の時、

「無為自然」と山岸さんが言った?「委し合い」とは同じことなんじゃないか・・・

が浮かんだ。

「無為自然」は「なんら作為をせず在るがままの状態」とNHKテキスト(ネット)にあった。

昨日ここでそんなこと書いたから、今朝、上に書いたようなことが起こったんだろうな。

そのテキストに・・・こういうのがあった。

道(みち)は常(つね)に無為にして、而(しか)も為(な)さざる無し。

訳は・・

(道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。)

「作為的なことはなにもしていないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。

天地を例にして考えてみると、

天や地は意思をもたないから常に「無為」の状態といえますが、

無為でありながらも、その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。

季節はめぐり、太陽は大地を照らし、雲は雨を降らし、

大地の上では植物や虫や動物がそれらの恩恵を受けて育っていく。

つまり「なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為している・・・・

・・・引用以上。


天や地は意思を持たないから・・とあるけれど、

人間の顕在意志みたいな意思は持ってないけれど、

天地という存在自体に元々そうなる意志が備わっているのかと思う。

自然の一部である私たち人間も作為を持たず在るがままで居たら、

なんの問題も起りえないのかと思う。

今現在世界に問題と思われるようなことはたくさんあるけれど、

それは全部今までのやり方の副作用が出ている現象なのかと思う。


花はただ在るがままで在るだけで、蜂や蝶々もただ在るがままで在るだけで、

花は実を付け、蜂は子を産む。

委ね合いだ。


委し合い という言葉が云っているのも、

互いが相手に対し作為を持たずに居る、という状態かと思う。

そのような状態に互いになるには、

先にそれに気づいた一方がそうなることだろうと思う。


いや、北朝鮮やシリアやロシア云々・・はそんなまどろっこしいことしてたんじゃダメだ!

なんていう考えは多いんだろうな・・・

本当の本当の本当の、そういう境地(NHKテキストにはスタンス、立ち位置、ありようとあった)で、

相手に接することが出来たら、

それはまどろっこしい事ではなく、簡単な事になるんじゃないかと思う。


立ち位置、ありよう、だから、無為自然に“なれば”、

相手を変えようなんて発想はしなく“なる”


無為自然がいい、という立ち位置、ありよう で居ると、

無為自然でない相手をよかれと思って、変えようと“する”ことに“なる”。


何をするより、まず自分の立ち位置、在りように目を向けることなんだろうと思う。










コメント
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