昨日は梅雨の晴れ間で、午前 梅の実採り、
午後はジャガイモ掘り、夕方から梅酒や梅干しの仕込み・・・
こういう日はなんだか、よくやったぁ!という気分になる。
畑で私のやることは収穫とちょっとの草取り、ちょっとの植木の剪定をするくらいで、
耕したり苗を作ったり移植したりは全部夫がやっている。
私は行きたいときに行くという感じだったんだけど、
最近ちょっと私も野良仕事がしたくなってきた。
このブログも以前ほど書いてない。
前は考えたいことがいっぱいで畑どころじゃなかったんだけど、
そういう時間を経て、変わって来た。
畑作業は面白い。お金を得る、得ないに関係なく、
まぁ、どんな仕事も仕事は面白いもんだと思う。
若い頃から仕事がいやだとか思ったことはなかった。
こんなにいい暇つぶしはない、と思っていたよ。
だから暇な仕事は苦痛だった。
若い頃、人生は暇つぶしだと思ってた。
人生という多量の暇を如何にして面白く、つぶせるか、だ、と思っていた。
会社勤めは自分で面白い作業を探さなくても、
ひとが用意してくれるので楽だなと思った。
子供のいない専業主婦なんて特に、
毎日毎日朝から晩までの暇つぶしを全部自分で用意しなきゃならない・・
私にはそんな才覚はなかった。
今は私も子供のいない専業主婦で、
そういう才覚が発達したのかと思われる・・・!?
なんで作業・仕事が面白いのか?
そんなこと考えたことなかったけど・・・
旅行することや映画を見ることも楽しいけど、
作業をしてるときみたいな面白さとは違う。
もちろん作業もその時の自分の能力を超えているものは面白く感じないだろう。
やらなくちゃモードになってしまうからね。
作業が面白いのはやっぱりやりたくてやるからかな。
その状態は心が遊んでいる状態なのかもしれない。
例えば、パソコンに向かっている動作という目に見える現象も、
その場所が会社なら仕事で、家なら遊び、という分類もあるかもしれないけど、
会社でそれをすることを面白がってやってたら、
心は遊んでいる、といえるかもしれない。
遊びをせんとや生まれけむ、というようなのがあるけど、
そういうことだね、きっと。
同じ作業・動作でもやらなくちゃモードだと、苦役作業ということになるかもしれぬ。
映画を見る面白さ、友人と語らう面白さ、と
作業・仕事をする面白さの違いは・・・と考えると・・・
身体を使うことでの面白さ?・・けど座っている事務仕事も面白かった。
全身を使う調理仕事はもっと面白かった。頭もすごく使うし。
頭と体が連動してる感じが面白かったのかなぁ。
やりたくてやる→その結果がひとの役に立っている・・・これなんだろうかなぁ・・
作業・仕事の面白さは。
ホントに、そういうことなんだろうか???
手芸してるけどすごく面白い。
それを捨てようと思って作業してない、からか・・・
誰が使うかどうか、もしかして一生箪笥の引出しに入ったままになるものもあるかもしれないけど、
捨てるためには作業してない。
けど、やってる最中に誰かの為とか思ってなくても面白い。
作業自体の面白さか、それは。
自分の能力に見合う作業で出来上がりを描いて、いつかは完成するもの・・そういう、
頭や身体を使って何かをする、しようとしている、そのプロセスを楽しむように人間は出来ている・・・
うん、そういう感じがしてきたぞ。
・・こう書いてきて、そういうのを遣り甲斐とか生き甲斐というのか・・
人生自体に値打ちがあるからこそ、その言葉があるのか・・・
遣り甲斐の意味・・するだけの値打ち。
生き甲斐の意味・・生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと。
・・・こう書いてきて・・・
目的 という言葉が浮かんだ。
目的が自分にはっきりしてれば瞬間瞬間の人生は面白い、ということか・・・・・
人生自体に目的がある。人生に目的は仕組まれてある・・・
それが面白いか、面白くないかの分かれ道か・・・
行為・行動がたくさん集まったのが人生なんだから、当たり前のことなんだぁ。
書いてきて・・・こういうことになった。
書くのはやっぱり面白い。
午後はジャガイモ掘り、夕方から梅酒や梅干しの仕込み・・・
こういう日はなんだか、よくやったぁ!という気分になる。
畑で私のやることは収穫とちょっとの草取り、ちょっとの植木の剪定をするくらいで、
耕したり苗を作ったり移植したりは全部夫がやっている。
私は行きたいときに行くという感じだったんだけど、
最近ちょっと私も野良仕事がしたくなってきた。
このブログも以前ほど書いてない。
前は考えたいことがいっぱいで畑どころじゃなかったんだけど、
そういう時間を経て、変わって来た。
畑作業は面白い。お金を得る、得ないに関係なく、
まぁ、どんな仕事も仕事は面白いもんだと思う。
若い頃から仕事がいやだとか思ったことはなかった。
こんなにいい暇つぶしはない、と思っていたよ。
だから暇な仕事は苦痛だった。
若い頃、人生は暇つぶしだと思ってた。
人生という多量の暇を如何にして面白く、つぶせるか、だ、と思っていた。
会社勤めは自分で面白い作業を探さなくても、
ひとが用意してくれるので楽だなと思った。
子供のいない専業主婦なんて特に、
毎日毎日朝から晩までの暇つぶしを全部自分で用意しなきゃならない・・
私にはそんな才覚はなかった。
今は私も子供のいない専業主婦で、
そういう才覚が発達したのかと思われる・・・!?
なんで作業・仕事が面白いのか?
そんなこと考えたことなかったけど・・・
旅行することや映画を見ることも楽しいけど、
作業をしてるときみたいな面白さとは違う。
もちろん作業もその時の自分の能力を超えているものは面白く感じないだろう。
やらなくちゃモードになってしまうからね。
作業が面白いのはやっぱりやりたくてやるからかな。
その状態は心が遊んでいる状態なのかもしれない。
例えば、パソコンに向かっている動作という目に見える現象も、
その場所が会社なら仕事で、家なら遊び、という分類もあるかもしれないけど、
会社でそれをすることを面白がってやってたら、
心は遊んでいる、といえるかもしれない。
遊びをせんとや生まれけむ、というようなのがあるけど、
そういうことだね、きっと。
同じ作業・動作でもやらなくちゃモードだと、苦役作業ということになるかもしれぬ。
映画を見る面白さ、友人と語らう面白さ、と
作業・仕事をする面白さの違いは・・・と考えると・・・
身体を使うことでの面白さ?・・けど座っている事務仕事も面白かった。
全身を使う調理仕事はもっと面白かった。頭もすごく使うし。
頭と体が連動してる感じが面白かったのかなぁ。
やりたくてやる→その結果がひとの役に立っている・・・これなんだろうかなぁ・・
作業・仕事の面白さは。
ホントに、そういうことなんだろうか???
手芸してるけどすごく面白い。
それを捨てようと思って作業してない、からか・・・
誰が使うかどうか、もしかして一生箪笥の引出しに入ったままになるものもあるかもしれないけど、
捨てるためには作業してない。
けど、やってる最中に誰かの為とか思ってなくても面白い。
作業自体の面白さか、それは。
自分の能力に見合う作業で出来上がりを描いて、いつかは完成するもの・・そういう、
頭や身体を使って何かをする、しようとしている、そのプロセスを楽しむように人間は出来ている・・・
うん、そういう感じがしてきたぞ。
・・こう書いてきて、そういうのを遣り甲斐とか生き甲斐というのか・・
人生自体に値打ちがあるからこそ、その言葉があるのか・・・
遣り甲斐の意味・・するだけの値打ち。
生き甲斐の意味・・生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと。
・・・こう書いてきて・・・
目的 という言葉が浮かんだ。
目的が自分にはっきりしてれば瞬間瞬間の人生は面白い、ということか・・・・・
人生自体に目的がある。人生に目的は仕組まれてある・・・
それが面白いか、面白くないかの分かれ道か・・・
行為・行動がたくさん集まったのが人生なんだから、当たり前のことなんだぁ。
書いてきて・・・こういうことになった。
書くのはやっぱり面白い。