昨日、友人と一時間近くお喋り。楽しかった。
認知症絡みの話だったんだけど、面白かったわ。
テレビでの認知療法を扱ったドキュメンタリーの話を教えてくれた。
軽い認知症夫婦に、外出して帰って来てから、
その日の出来事を記録してもらうという療法の話。
この療法ではやる前とやってからの脳の画像が凄く違うらしい。
その日、何処で何をしたか、何を食べたか、どういう道順を通ったか、
それを地図で書くとか、思い出そうとする作業を二人でするんだろうな。
前もそういえば聞いたことがあった。
(忘れた)で終わりにしないで、とにかく思い出そうとする・・のがいい、とかの話・・・
でも、待てよ、この認知症療法では何をしてもいいそう。
写真を撮って来てそれを見て記録してもいいんだそう。
後で記録するための材料をその場でメモしてもいいんだそう。
カメラを使うとか、メモをするとか、どんなこともオーケーなのは、
後でその写真やメモを見て、
それを“思い出す”という経験をすることに意味があるのかもしれない。
(思いだそう、思いだそう)というのは結構大変だけど、
これだと自然に(思い出す)という意識作用が起こる。
(思いだそう、思いだそう)という意識作用は努力が要るし、苦難だよ。
経験あるわ。出来ればしたくない。
この療法だと努力などせずに楽しく脳が活性化するのかもしれない。
そうだよ、思い出す、というのは行為や行動じゃないんだから、
出そう、なんてウンコみたいなわけにはいかない。
まぁ、ウンコも出そうとする努力は辛いな。
あれも自然に出るのが一番。
ウンコも努力なんかいらないのがベストだわな・・
一日好きなことをして楽しく過ごすけれど、
その出来事を後で記録する、ということを意識している、
ということがきっといいに違いない。
自分がしている事に意識というスポットを当てている、ということだ。
なんせ後で記録しなくちゃいけない・・というのがあるんだからね。
認知症という病気が良くなるための有効的な治療方法。
認知症を治したいという意欲があれば、努力したくて努力する。
こういう努力はやりがいがあるもんだ。
俳句や短歌を作るという趣味を持っている老人は呆けない、という話を、
認知症が注目されるよりずっと以前から聞いたことがあるけれど、
これも同じことだろうと思う。句を作りたいと始終思っていれば、
周りの出来事や自然の姿に接した際に発生する
自分の気持ち、心、意識に常に注目しているからね。
結局のところ、自分の意識を自覚している時間というのは、
もう一人の自分がこの世の自分を見つめている時間かなぁ。
あぁ、こんな時こんなふうに思うんだな、こやつは・・ふむふむ・・とか。
その、“もう一人“を見失ってしまっている時間が
年月的にも長いと認知症になってしまうのかなぁと思うよ。
認知症が発病するには25年くらいの歳月がかかるらしい。
でも、軽いうちならこの療法や俳句を作るとか、
とにかく自分が思ったこと、自分がしたこと、を書くというのを始めれば、
どんどん脳は活発に動き始めるんだから、
過去25年間も夢遊病者のようで居ても大丈夫だわ。
これはかなりの朗報なんじゃないかな。
数独も脳の活性化にいいとか言ってるようだけど、もっといいかも。
認知症絡みの話だったんだけど、面白かったわ。
テレビでの認知療法を扱ったドキュメンタリーの話を教えてくれた。
軽い認知症夫婦に、外出して帰って来てから、
その日の出来事を記録してもらうという療法の話。
この療法ではやる前とやってからの脳の画像が凄く違うらしい。
その日、何処で何をしたか、何を食べたか、どういう道順を通ったか、
それを地図で書くとか、思い出そうとする作業を二人でするんだろうな。
前もそういえば聞いたことがあった。
(忘れた)で終わりにしないで、とにかく思い出そうとする・・のがいい、とかの話・・・
でも、待てよ、この認知症療法では何をしてもいいそう。
写真を撮って来てそれを見て記録してもいいんだそう。
後で記録するための材料をその場でメモしてもいいんだそう。
カメラを使うとか、メモをするとか、どんなこともオーケーなのは、
後でその写真やメモを見て、
それを“思い出す”という経験をすることに意味があるのかもしれない。
(思いだそう、思いだそう)というのは結構大変だけど、
これだと自然に(思い出す)という意識作用が起こる。
(思いだそう、思いだそう)という意識作用は努力が要るし、苦難だよ。
経験あるわ。出来ればしたくない。
この療法だと努力などせずに楽しく脳が活性化するのかもしれない。
そうだよ、思い出す、というのは行為や行動じゃないんだから、
出そう、なんてウンコみたいなわけにはいかない。
まぁ、ウンコも出そうとする努力は辛いな。
あれも自然に出るのが一番。
ウンコも努力なんかいらないのがベストだわな・・
一日好きなことをして楽しく過ごすけれど、
その出来事を後で記録する、ということを意識している、
ということがきっといいに違いない。
自分がしている事に意識というスポットを当てている、ということだ。
なんせ後で記録しなくちゃいけない・・というのがあるんだからね。
認知症という病気が良くなるための有効的な治療方法。
認知症を治したいという意欲があれば、努力したくて努力する。
こういう努力はやりがいがあるもんだ。
俳句や短歌を作るという趣味を持っている老人は呆けない、という話を、
認知症が注目されるよりずっと以前から聞いたことがあるけれど、
これも同じことだろうと思う。句を作りたいと始終思っていれば、
周りの出来事や自然の姿に接した際に発生する
自分の気持ち、心、意識に常に注目しているからね。
結局のところ、自分の意識を自覚している時間というのは、
もう一人の自分がこの世の自分を見つめている時間かなぁ。
あぁ、こんな時こんなふうに思うんだな、こやつは・・ふむふむ・・とか。
その、“もう一人“を見失ってしまっている時間が
年月的にも長いと認知症になってしまうのかなぁと思うよ。
認知症が発病するには25年くらいの歳月がかかるらしい。
でも、軽いうちならこの療法や俳句を作るとか、
とにかく自分が思ったこと、自分がしたこと、を書くというのを始めれば、
どんどん脳は活発に動き始めるんだから、
過去25年間も夢遊病者のようで居ても大丈夫だわ。
これはかなりの朗報なんじゃないかな。
数独も脳の活性化にいいとか言ってるようだけど、もっといいかも。