昨日、「何の用?」を書いた後、
ずっとそのことが気になっていた。
私はひとの用事に興味がない、それがそれを忘れてしまう原因?なんだろうか??
本当にそうなんだろうか・・・
ちょっとすっきりしないものが残っていた。
すると、???が私の中で消えない。
???が続いていて、パソコンのスイッチをオフにしてから、夜だったか、
そうか!私はひとが(コレコレしたい)というその意志にだけ関心があるんだ、
と気がついた。そういう言葉を聴くとき、
この人はどうしたいのか?と、それに一番気が行ってしまって、
そうしたくなる理由にはそれほど関心がないということなのか・・
と、思い至った。
むかし、職場のまとめ役みたいな役割について居た時、
休みたい理由をなが~く話す人がいて、
そういうことはどうでもいいんだけどな~、みたいに聞いてた。
気持ちが冷たいといえば冷たいのかもしれないけど、
子供が遊びたい時、なんで遊びたいのか、
どの遊びをしたいのか、なんてどうでもよかったのと同じなのかな~。
休みたい理由を詳しく話すのは、
休みたくても休めないようなムードをそれまでの人生でたくさん感じて来て、
休む理由を万人が納得するようなものにしたい、そうすれば認めてもらえる・・・
みたいな、そういう気持ちなんだろうと思う。
なんとか納得させたい・・みたいな。
そういう経験もしたことあるし、わかる。
職場がどんなに忙しい時期でも、親が死んだ、子供が死んだ、
夫が交通事故に遭った、なんていう理由だと、
文句なしに認めてもらえるということがあるから。
なんだか悲しいようなことばかりだね、これ。
けど、相手が自分の意志に快く対応してくれる事をひとが望むのは当たり前なことだね~
職場をどんな理由で休むのでも、相手が快く対応してくれたら、
理由を長く説明することもないかもしれない。
どんな理由でも休みたいので、休みたいと言うんだから、
理由なんかどうでもいいんじゃないか・・・
やっぱりそう思ってしまう。
そんなことしたら、職場はどうなるんだっ!っていう声があるかもしれないけど。
それなりに事態は進む。
震災の頃の職場はそんなふうだったろう。
いろいろ大変なことが起こるだろうけど、それならそれで、と事態は進む。
動的平衡という在りようで人の社会も動いてゆく。
全体が一つかのように部分は動いてしまうもの。
人間も生命だし。ただ、顕在意識が不自然なものも多いから、
その全体というものがいびつになってしまうことがある。
顕在意識が自然なものになったら、美しい全体、美しい社会になる。
・・・こういう展開になった。
書き出すときはそんなつもりなかったんだけど。
書くという動きがあって、それなりに考えという事態が進み、
意識は動的平衡という在りようで、
この文章も動いていく。なんでも同じだなぁ。
ずっとそのことが気になっていた。
私はひとの用事に興味がない、それがそれを忘れてしまう原因?なんだろうか??
本当にそうなんだろうか・・・
ちょっとすっきりしないものが残っていた。
すると、???が私の中で消えない。
???が続いていて、パソコンのスイッチをオフにしてから、夜だったか、
そうか!私はひとが(コレコレしたい)というその意志にだけ関心があるんだ、
と気がついた。そういう言葉を聴くとき、
この人はどうしたいのか?と、それに一番気が行ってしまって、
そうしたくなる理由にはそれほど関心がないということなのか・・
と、思い至った。
むかし、職場のまとめ役みたいな役割について居た時、
休みたい理由をなが~く話す人がいて、
そういうことはどうでもいいんだけどな~、みたいに聞いてた。
気持ちが冷たいといえば冷たいのかもしれないけど、
子供が遊びたい時、なんで遊びたいのか、
どの遊びをしたいのか、なんてどうでもよかったのと同じなのかな~。
休みたい理由を詳しく話すのは、
休みたくても休めないようなムードをそれまでの人生でたくさん感じて来て、
休む理由を万人が納得するようなものにしたい、そうすれば認めてもらえる・・・
みたいな、そういう気持ちなんだろうと思う。
なんとか納得させたい・・みたいな。
そういう経験もしたことあるし、わかる。
職場がどんなに忙しい時期でも、親が死んだ、子供が死んだ、
夫が交通事故に遭った、なんていう理由だと、
文句なしに認めてもらえるということがあるから。
なんだか悲しいようなことばかりだね、これ。
けど、相手が自分の意志に快く対応してくれる事をひとが望むのは当たり前なことだね~
職場をどんな理由で休むのでも、相手が快く対応してくれたら、
理由を長く説明することもないかもしれない。
どんな理由でも休みたいので、休みたいと言うんだから、
理由なんかどうでもいいんじゃないか・・・
やっぱりそう思ってしまう。
そんなことしたら、職場はどうなるんだっ!っていう声があるかもしれないけど。
それなりに事態は進む。
震災の頃の職場はそんなふうだったろう。
いろいろ大変なことが起こるだろうけど、それならそれで、と事態は進む。
動的平衡という在りようで人の社会も動いてゆく。
全体が一つかのように部分は動いてしまうもの。
人間も生命だし。ただ、顕在意識が不自然なものも多いから、
その全体というものがいびつになってしまうことがある。
顕在意識が自然なものになったら、美しい全体、美しい社会になる。
・・・こういう展開になった。
書き出すときはそんなつもりなかったんだけど。
書くという動きがあって、それなりに考えという事態が進み、
意識は動的平衡という在りようで、
この文章も動いていく。なんでも同じだなぁ。