昨日、夫が帰宅したとき、お帰りと言ってから、
「どうだった?」と聞いてみた。
何の用だったのか、すっかり忘れていたので、探りを入れたわけだ。
夫は一日もかけて一体なにをしてるんだろう??という興味が湧いてきたこともあったし。
そう言ったら、「何がどうだった?って聞いてる?」と言われ、
いや、あの、今日の用事のことだよ・・と。
地域で何かの役員をしてるので、防災についての講座に参加したようだった。
大学の防災専門の先生に来てもらって、その講義を受け、
地区別に集まって、アレコレ検討したりしたらしい。
ここらは海辺なので地震や津波のことや何かいろいろ。
寝室の私の枕元に置いてある液晶じゃないテレビは危ないという話になった。
寝室に高い家具はないし、地震が来ても家が壊れなければ何も心配することはない、
って思ってたけど、テレビが飛ぶ、らしい。
飛ばなくてもひっくり返ったら、私の頭に当たる。
そんなことにも頭が回らないで居たということがわかったよ。
早速、寝る前に布団の位置を変えた。
冷蔵庫も食器棚も壁に固定してあるし、家が壊れなければ、津波から逃げるだけだ。
昨日の話しでは「自助」ということがテーマになったらしい。
「津波てんでんこ」という言葉が東北にはあったらしいけど、
そうしなくて、津波で亡くなった人も多い。
一旦避難しても、家族や知人が心配で浜の方へ戻った人が多かったことが、
携帯の電波記録でわかったようだ。
この前テレビでやっていた。
心配が悲劇を大きくした、と言えるかもしれない。
家族を思う気持ちがキッカケで死んでしまった多くの人たちがいた。
なんとも痛ましい。
地震時は自分のことだけ考えること。自助。昨日はそういう話だったらしい。
けれど、何も津波のときだけじゃないと思う。自分のことだけ考えるのは。
一人一人が自分のことだけ考えればいい。
ひとは自分でやれる。
分別の無い子供や自分で動けない老人は別だけど。
心配・心を配ることは美しい愛だけど、
心配というお節介の前提には、その人は自立出来ない、自律出来ない、
自分で考えて逃げる方法を探せない、と観ている意識がある。
地震でない他のことでも、ひとは自分で考えて道を見出すものと、
なってない心が心配というお節介を引き起こす。
自分で考える、というと誤解を産みやすいけど、自分だけで、ということじゃない。
自分から人に助けを求めるということも、
自分で考えてやる、ことの一つだ。
心配というお節介経験をたくさんして、その結果、人に迷惑をかけた私は、
深く反省して、体得したのか、今は心配という思いが出てくることがほとんどなくなったよ。
まぁ、またいつそういうことになるかわからないけどね。
あくまで、今。
基本は「自助」だから、日常的に、一人一人、今地震が来たら、こうする、
ここだったらこうする、こうしてたらこうすると、
描いておく、気持ちを用意しておくことが大事という話もあったそう。
ここらは年寄りばかりなので、こういう話もあったらしい。
年寄りは自分の家から這いつくばってでも出て来てもらう事。
緊急時に家の中まで探しに行っていたら、他に助けられる人も助けられなくなる。
家の外に出てもらえば、通る人が拾うことも出来るって。
義母が生きていた頃、普通に歩けない義母は、
「わしはここで死ぬから、助けようとしないでいい」と言っていた。
けど、ちょっとした地震があった時に、その時私は畑にいたんだけど、
恐かったらしく、すぐに帰って来てと携帯に電話があったこともあった。
義母は自分を置いて逃げて、と言っていたけど、
普段の義母を観ると、本当にそれを望んでいるとは思えなかったし、
義母を置いて逃げようという気にならなかったので、
もしもの時は、家の戸を外して担架にし、
軽トラの荷台に乗せて、逃げようと夫と二人で話していた。
なんせここは海から歩いて1分かからないところだし。
けど、義母は地震が来る前に亡くなった。
義父にはいつ地震があっても、一人で海抜28メートルの国道まで歩いて行って下さいね、と確認してる。
そこは歩いてすぐだから、ということは急な坂道なんだけど。
まだまだ96才の義父は大丈夫だ。
でも亡くなる前には地震が来なければいいなぁと思うよ。
「どうだった?」と聞いてみた。
何の用だったのか、すっかり忘れていたので、探りを入れたわけだ。
夫は一日もかけて一体なにをしてるんだろう??という興味が湧いてきたこともあったし。
そう言ったら、「何がどうだった?って聞いてる?」と言われ、
いや、あの、今日の用事のことだよ・・と。
地域で何かの役員をしてるので、防災についての講座に参加したようだった。
大学の防災専門の先生に来てもらって、その講義を受け、
地区別に集まって、アレコレ検討したりしたらしい。
ここらは海辺なので地震や津波のことや何かいろいろ。
寝室の私の枕元に置いてある液晶じゃないテレビは危ないという話になった。
寝室に高い家具はないし、地震が来ても家が壊れなければ何も心配することはない、
って思ってたけど、テレビが飛ぶ、らしい。
飛ばなくてもひっくり返ったら、私の頭に当たる。
そんなことにも頭が回らないで居たということがわかったよ。
早速、寝る前に布団の位置を変えた。
冷蔵庫も食器棚も壁に固定してあるし、家が壊れなければ、津波から逃げるだけだ。
昨日の話しでは「自助」ということがテーマになったらしい。
「津波てんでんこ」という言葉が東北にはあったらしいけど、
そうしなくて、津波で亡くなった人も多い。
一旦避難しても、家族や知人が心配で浜の方へ戻った人が多かったことが、
携帯の電波記録でわかったようだ。
この前テレビでやっていた。
心配が悲劇を大きくした、と言えるかもしれない。
家族を思う気持ちがキッカケで死んでしまった多くの人たちがいた。
なんとも痛ましい。
地震時は自分のことだけ考えること。自助。昨日はそういう話だったらしい。
けれど、何も津波のときだけじゃないと思う。自分のことだけ考えるのは。
一人一人が自分のことだけ考えればいい。
ひとは自分でやれる。
分別の無い子供や自分で動けない老人は別だけど。
心配・心を配ることは美しい愛だけど、
心配というお節介の前提には、その人は自立出来ない、自律出来ない、
自分で考えて逃げる方法を探せない、と観ている意識がある。
地震でない他のことでも、ひとは自分で考えて道を見出すものと、
なってない心が心配というお節介を引き起こす。
自分で考える、というと誤解を産みやすいけど、自分だけで、ということじゃない。
自分から人に助けを求めるということも、
自分で考えてやる、ことの一つだ。
心配というお節介経験をたくさんして、その結果、人に迷惑をかけた私は、
深く反省して、体得したのか、今は心配という思いが出てくることがほとんどなくなったよ。
まぁ、またいつそういうことになるかわからないけどね。
あくまで、今。
基本は「自助」だから、日常的に、一人一人、今地震が来たら、こうする、
ここだったらこうする、こうしてたらこうすると、
描いておく、気持ちを用意しておくことが大事という話もあったそう。
ここらは年寄りばかりなので、こういう話もあったらしい。
年寄りは自分の家から這いつくばってでも出て来てもらう事。
緊急時に家の中まで探しに行っていたら、他に助けられる人も助けられなくなる。
家の外に出てもらえば、通る人が拾うことも出来るって。
義母が生きていた頃、普通に歩けない義母は、
「わしはここで死ぬから、助けようとしないでいい」と言っていた。
けど、ちょっとした地震があった時に、その時私は畑にいたんだけど、
恐かったらしく、すぐに帰って来てと携帯に電話があったこともあった。
義母は自分を置いて逃げて、と言っていたけど、
普段の義母を観ると、本当にそれを望んでいるとは思えなかったし、
義母を置いて逃げようという気にならなかったので、
もしもの時は、家の戸を外して担架にし、
軽トラの荷台に乗せて、逃げようと夫と二人で話していた。
なんせここは海から歩いて1分かからないところだし。
けど、義母は地震が来る前に亡くなった。
義父にはいつ地震があっても、一人で海抜28メートルの国道まで歩いて行って下さいね、と確認してる。
そこは歩いてすぐだから、ということは急な坂道なんだけど。
まだまだ96才の義父は大丈夫だ。
でも亡くなる前には地震が来なければいいなぁと思うよ。