何年か前のことなんだけど、
娘が旦那のいろんな行動を真剣に非難を込めて私に話したことがあった。
その内容は批判することでもないようなことだとその時思った。
黙って聞いていたけど、娘が彼を罵倒し続けていることに
内心非難しまくっていた。
けれど、視線を逸らすことなくずっと娘の顔を見ていて一言も発さなかった。
娘は私の内心には気が付かなかったようで話し続けたのだった。
そして文句を言い続けていたある瞬間、はっとしたように
「わたし、十代の頃一番嫌だった人と同じこと今してる」と、
大発見したように呟いたのだった。
夫の行動を自分の物差しで判断して、非難していた、
そういう自分だったと気付いた、ということだと思った。
内心は非難してたのに、
ただじっと見続けていたという行為がもたらしたこの展開は
どういう心の作用なのか??
ただ見つめられただけで、自分の心を観るようになる・・・
そういう作用をもたらしたんじゃないか・・??
井の頭公園の性器出し男が性器をしまった現象と同じだ。
違うのは、あの時の若かった私は全く無心だったけれど、
この例での私は無心どころじゃなかった。
悪意に満ちていた。
それでも何も言わずじっと見ていたということは一緒だ。
ということは・・・
そういうじっと見つめるという目に見える現象がそれをもたらすんじゃないか・・・
見つめる側の心がどうであっても、
口出ししないことで、相手は自分で自分の心を観てしまう。
このことって“見猿言わ猿聞か猿”の三猿の話と似ている。
あの話の真意はこういうことだったのか・・・
釈迦の『見ないことが究極のありようを見たことである』
という言葉の真意もそういうことなのか・・・
見ても見ない、ということがこの言葉の「見ない」なんじゃないか・・・
口出ししないでもひとは自分で考え、経験し、味わい、
自分で自分をコントロールできる。
それはその人のことはその人に委ねる、任せる、そういうことに通じる。
見た目に囚われず、
本質そのままで在るその人に全幅の信頼を寄せていればいい、
・・んだろうけど、
見た目に囚われても、信頼を寄せられなくても、
口出ししなきゃいい。
意見なんか言わなきゃいい。
老婆心を起こさなきゃいい。
そういうことなのかと思うと、いろんなことに囚われてばかりいる身としては
なんか出来そうな気もするよ。
「小さな親切大きなお世話」そういうことを釈迦は言ったのか!!!???
でも、このジョークの(大きなお世話)という言葉には、
要らないという意味がすごく含まれていることが凄い。
(大きな)も(お世話)も否定的なニュアンスはないように思うけど、
お世話はちょっとでいい、ということか。
娘が旦那のいろんな行動を真剣に非難を込めて私に話したことがあった。
その内容は批判することでもないようなことだとその時思った。
黙って聞いていたけど、娘が彼を罵倒し続けていることに
内心非難しまくっていた。
けれど、視線を逸らすことなくずっと娘の顔を見ていて一言も発さなかった。
娘は私の内心には気が付かなかったようで話し続けたのだった。
そして文句を言い続けていたある瞬間、はっとしたように
「わたし、十代の頃一番嫌だった人と同じこと今してる」と、
大発見したように呟いたのだった。
夫の行動を自分の物差しで判断して、非難していた、
そういう自分だったと気付いた、ということだと思った。
内心は非難してたのに、
ただじっと見続けていたという行為がもたらしたこの展開は
どういう心の作用なのか??
ただ見つめられただけで、自分の心を観るようになる・・・
そういう作用をもたらしたんじゃないか・・??
井の頭公園の性器出し男が性器をしまった現象と同じだ。
違うのは、あの時の若かった私は全く無心だったけれど、
この例での私は無心どころじゃなかった。
悪意に満ちていた。
それでも何も言わずじっと見ていたということは一緒だ。
ということは・・・
そういうじっと見つめるという目に見える現象がそれをもたらすんじゃないか・・・
見つめる側の心がどうであっても、
口出ししないことで、相手は自分で自分の心を観てしまう。
このことって“見猿言わ猿聞か猿”の三猿の話と似ている。
あの話の真意はこういうことだったのか・・・
釈迦の『見ないことが究極のありようを見たことである』
という言葉の真意もそういうことなのか・・・
見ても見ない、ということがこの言葉の「見ない」なんじゃないか・・・
口出ししないでもひとは自分で考え、経験し、味わい、
自分で自分をコントロールできる。
それはその人のことはその人に委ねる、任せる、そういうことに通じる。
見た目に囚われず、
本質そのままで在るその人に全幅の信頼を寄せていればいい、
・・んだろうけど、
見た目に囚われても、信頼を寄せられなくても、
口出ししなきゃいい。
意見なんか言わなきゃいい。
老婆心を起こさなきゃいい。
そういうことなのかと思うと、いろんなことに囚われてばかりいる身としては
なんか出来そうな気もするよ。
「小さな親切大きなお世話」そういうことを釈迦は言ったのか!!!???
でも、このジョークの(大きなお世話)という言葉には、
要らないという意味がすごく含まれていることが凄い。
(大きな)も(お世話)も否定的なニュアンスはないように思うけど、
お世話はちょっとでいい、ということか。