忘己利他という言葉を夫に教えて貰った。
利他という文字は見たことがあったけど、今まで、あまり吸い寄せられなかった。
忘己利他の意味は己を忘れて他に利することかな。
(広辞苑で「利他」を調べると、
自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと。
やはり犠牲はまずい。副作用を起こす。
自分が一番大事な私はそう思う。
結果として、他者に利さないことになるから。
他からは同じ動作に見えても、それをやる側に犠牲心があるのと無いのとがある。
犠牲にならないポイントはやっぱり、私が私が、というような自我意識がなくなることかな。
それを忘己(ぼうき、らしい、広辞苑には出てなかった、天台宗では使うらしい)というのかと思う。
ひとが大変そうに見えるとき、だいたい誰でも助けたいと思ってしまう。
それが良いというより、自然発生的な思いなのかと思う。
ついやってしまう。そのときは快適な美しい心で居る。
その瞬間は私が、私がというようなものが無い場合が多いと思う。
忘己状態だし、利他的行為。後でそれをそれで無くしてしまうのは、
シツケや教えだ。
そうされたときはお礼を言うべき、するべき。それが正しいと突っ張る。
これがあるからおかしくなる。
利他という文字は見たことがあったけど、今まで、あまり吸い寄せられなかった。
忘己利他の意味は己を忘れて他に利することかな。
(広辞苑で「利他」を調べると、
自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと。
やはり犠牲はまずい。副作用を起こす。
自分が一番大事な私はそう思う。
結果として、他者に利さないことになるから。
他からは同じ動作に見えても、それをやる側に犠牲心があるのと無いのとがある。
犠牲にならないポイントはやっぱり、私が私が、というような自我意識がなくなることかな。
それを忘己(ぼうき、らしい、広辞苑には出てなかった、天台宗では使うらしい)というのかと思う。
ひとが大変そうに見えるとき、だいたい誰でも助けたいと思ってしまう。
それが良いというより、自然発生的な思いなのかと思う。
ついやってしまう。そのときは快適な美しい心で居る。
その瞬間は私が、私がというようなものが無い場合が多いと思う。
忘己状態だし、利他的行為。後でそれをそれで無くしてしまうのは、
シツケや教えだ。
そうされたときはお礼を言うべき、するべき。それが正しいと突っ張る。
これがあるからおかしくなる。