「わかる」というこの言葉のもつ内容に私は興味があるみたいだ。
今までも、どんなことなのかと何度も考えている。
どんなこともわからないと現象は進まない。
これが食べ物だとわかるから、人はそれを食べる。
こういうやり方が便利だとわかって、それをしたら便利だった。
失敗のわけがわかって、失敗しなくなる。
あの人はあれを嫌がるとわかったので、あの人の前であれはしない。
ガンになるわけがわからないから、ガンは減らない。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、トラブルは続く。
本当の幸福がどんなものなのかわからないから、
何をどう目指していいか、わからなくて幸福にならない。
・・こんなふうに“わかる”ことが進むことは、人が幸福になる道と言えそう。
なんだか、こう書いてみると当たり前な気がして来るね~。
「わかろうとする」という思いがどういう時に発せられるのか、考えてみると、
「どんな問題があるのか」「どんなことを考えているのか」
「それはどんな用事か」「それはどんな計画なのか」
「その漢字はどう読むのか」「地震で何が起こったのか」・・・
・・というような場合であることがわかる。
・・そういうような(何?)(どんな?)がある元々疑問形の?が湧いて来たときに、
(わかろうとして)聞いたり、辞書やネットで調べたり、する。
(辞書、ネット、ひとの言葉)の意味がわかれば、
「そうなのか」という納得が得られる。
「わかろうとする」という意識の働きが起こるのは、
何がわからないのか、本人にわかっているので起こる。
そして、「わかりたい」という願いの実現方法も知っている。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、
トラブルは続く・・と上に書いたけど、
この場合の“わからなさ”は(何?)とか(どんな?)がわからないということじゃない。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけ がわかってない自分で在ること、
が、わからない、 ということ。
トラブルになる本当のわけをわかってなかった自分だと気づいた時に、
そのわけがわかる。
何故なら、本当のわけをわかってなかった自分だった とわかるのは、
既に本当のわけをわかった自分でしかないから。
そう、「わかる」とは“わからないことがわかる”それしかない。
無知の知。な~るほど だね。
今までも、どんなことなのかと何度も考えている。
どんなこともわからないと現象は進まない。
これが食べ物だとわかるから、人はそれを食べる。
こういうやり方が便利だとわかって、それをしたら便利だった。
失敗のわけがわかって、失敗しなくなる。
あの人はあれを嫌がるとわかったので、あの人の前であれはしない。
ガンになるわけがわからないから、ガンは減らない。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、トラブルは続く。
本当の幸福がどんなものなのかわからないから、
何をどう目指していいか、わからなくて幸福にならない。
・・こんなふうに“わかる”ことが進むことは、人が幸福になる道と言えそう。
なんだか、こう書いてみると当たり前な気がして来るね~。
「わかろうとする」という思いがどういう時に発せられるのか、考えてみると、
「どんな問題があるのか」「どんなことを考えているのか」
「それはどんな用事か」「それはどんな計画なのか」
「その漢字はどう読むのか」「地震で何が起こったのか」・・・
・・というような場合であることがわかる。
・・そういうような(何?)(どんな?)がある元々疑問形の?が湧いて来たときに、
(わかろうとして)聞いたり、辞書やネットで調べたり、する。
(辞書、ネット、ひとの言葉)の意味がわかれば、
「そうなのか」という納得が得られる。
「わかろうとする」という意識の働きが起こるのは、
何がわからないのか、本人にわかっているので起こる。
そして、「わかりたい」という願いの実現方法も知っている。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけがわからないから、
トラブルは続く・・と上に書いたけど、
この場合の“わからなさ”は(何?)とか(どんな?)がわからないということじゃない。
人間関係のトラブルが起こる本当のわけ がわかってない自分で在ること、
が、わからない、 ということ。
トラブルになる本当のわけをわかってなかった自分だと気づいた時に、
そのわけがわかる。
何故なら、本当のわけをわかってなかった自分だった とわかるのは、
既に本当のわけをわかった自分でしかないから。
そう、「わかる」とは“わからないことがわかる”それしかない。
無知の知。な~るほど だね。