東京にいた時、通勤していた夫に毎日弁当を作っていた。
自分の心象風景ががらっと変わってしまったことがあった後、
朝作る弁当が変わった。
ご飯と海苔を重ねて、間に鰹節を挟み、
その上に鮭の切り身をチンして乗せた・・それだけの奴。
一年近くこの同じ弁当を毎朝作った。
他のメニューを作りたい、いろいろ作りたい、という気持ちが発生しなかった。
それ以前はいくらかは考えて作っていた。
栄養のバランスを考えて作らなくちゃいけないとか。
そういう(~しなくてはならない)という思考がその時一切消えてしまった。
毎朝このスタイルの弁当を作る、
それがその時の私のやりたい気持ちの(やらなくちゃならないじゃなくて)
分量だったんだと思う。
それ以上の(いろいろ野菜や色のある)弁当を作るとすれば、
当時の私にとって、「やらなくちゃならない」モードになってしまう・・・
・・そういうことが、意識してじゃないけどわかってたんだろと思う。
「やりたい」気持ちだけでやっていた。
「良い弁当を作らなければいけない」が無いので、そういうことになった。
夫は毎日その弁当箱を空っぽにして帰って来た。
後になって聞いた時も、「別になんとも思わなかった」と言ってた。
彼が嘘を言ったという可能性が無いわけじゃないけど、
彼を見ると嘘じゃないのかな~と思う。
彼は栄養がナンタラにそれほど関心がない。
その時もし、彼が「こんな弁当じゃイヤだ」と言ったら、
その時の私はどんなふうだったんだろう?と想像すると、
それを聴いて、そうかぁ!と思って、
弁当を用意したい気持ちの分量が変化してたんじゃないかと思う。
そして、もう少し色のある弁当を作っていたんじゃないかと思う。
その時の弁当の姿は二人の気持ちが一致していた結果といえるかなぁ。
自分の心象風景ががらっと変わってしまったことがあった後、
朝作る弁当が変わった。
ご飯と海苔を重ねて、間に鰹節を挟み、
その上に鮭の切り身をチンして乗せた・・それだけの奴。
一年近くこの同じ弁当を毎朝作った。
他のメニューを作りたい、いろいろ作りたい、という気持ちが発生しなかった。
それ以前はいくらかは考えて作っていた。
栄養のバランスを考えて作らなくちゃいけないとか。
そういう(~しなくてはならない)という思考がその時一切消えてしまった。
毎朝このスタイルの弁当を作る、
それがその時の私のやりたい気持ちの(やらなくちゃならないじゃなくて)
分量だったんだと思う。
それ以上の(いろいろ野菜や色のある)弁当を作るとすれば、
当時の私にとって、「やらなくちゃならない」モードになってしまう・・・
・・そういうことが、意識してじゃないけどわかってたんだろと思う。
「やりたい」気持ちだけでやっていた。
「良い弁当を作らなければいけない」が無いので、そういうことになった。
夫は毎日その弁当箱を空っぽにして帰って来た。
後になって聞いた時も、「別になんとも思わなかった」と言ってた。
彼が嘘を言ったという可能性が無いわけじゃないけど、
彼を見ると嘘じゃないのかな~と思う。
彼は栄養がナンタラにそれほど関心がない。
その時もし、彼が「こんな弁当じゃイヤだ」と言ったら、
その時の私はどんなふうだったんだろう?と想像すると、
それを聴いて、そうかぁ!と思って、
弁当を用意したい気持ちの分量が変化してたんじゃないかと思う。
そして、もう少し色のある弁当を作っていたんじゃないかと思う。
その時の弁当の姿は二人の気持ちが一致していた結果といえるかなぁ。