小さな子供向けにちょっとした芝居を友だちとやったことについて・・
舞台に立った時、緊張してドキドキした。
その時、なんで緊張してるんだ?と自分に問うた。
その答え「見てる人に上手い!と言わせたいから」
「自分が上手いと言われるために、この芝居をするのか?」が次に出てきた。
その答え「違う」
ほんの一瞬の心の動きだけど、そういうことがあった。
「違う」とはっきり思った途端、
胸のドキドキがピタッと止んだ。不思議なくらいだった。
これをもう少し詳しく表現すると・・
舞台に立った時、緊張してドキドキした。
これは上手くやれないんじゃないかという不安感でそうなった。
何故そういう不安感が生まれたかといえば、
良い評価を得たいという願いがあったせい。
ドキドキは良い評価を得られないんじゃないかという不安感だった。
良い評価を得るためにこの芝居をするんじゃない、
子供たちが楽しむためにやるんだと思った途端に、
心臓の大きなドキドキはピタッと静かになった。
良い評価が得られないんじゃないかという不安感の(粒子・波動)は
心臓に平常ではない動悸という現象を起こした。
明らかに異常を示す動きだったと思う。
自分への評価を気にすると心臓が異常になり、
子供が楽しめばいい、と思った途端、その動悸が消える・・とは、
どういうことなんだろう?????
それにしても、心と身体の一部である心臓はピッタリと連動してる。
全速力で走ると心臓はバクバクする。
そのバクバクは走るのをやめた後も暫くは続くけど、
この場合のドキドキは瞬時に消えた。
身体の運動では全身がバクバクするのだろう、それで、
全身の一部である心臓も一緒にバクバクするわけで、
それは身体の運動が終えても、暫くは続くんだろう。
それと比べて、心の動きだけで心臓がドキドキするのは、
心が変われば途端に消えるんだろう。
「バクバク」と「ドキドキ」で擬態語が違うように心臓の動きは微妙なものなんだなぁ。
あまりの悲しみのせいで心臓が止まって死んでしまったとかいうことがこの世にはある、
という話も読んだことがあるけど、
在り得ないことじゃないと思うよ。
舞台に立った時、緊張してドキドキした。
その時、なんで緊張してるんだ?と自分に問うた。
その答え「見てる人に上手い!と言わせたいから」
「自分が上手いと言われるために、この芝居をするのか?」が次に出てきた。
その答え「違う」
ほんの一瞬の心の動きだけど、そういうことがあった。
「違う」とはっきり思った途端、
胸のドキドキがピタッと止んだ。不思議なくらいだった。
これをもう少し詳しく表現すると・・
舞台に立った時、緊張してドキドキした。
これは上手くやれないんじゃないかという不安感でそうなった。
何故そういう不安感が生まれたかといえば、
良い評価を得たいという願いがあったせい。
ドキドキは良い評価を得られないんじゃないかという不安感だった。
良い評価を得るためにこの芝居をするんじゃない、
子供たちが楽しむためにやるんだと思った途端に、
心臓の大きなドキドキはピタッと静かになった。
良い評価が得られないんじゃないかという不安感の(粒子・波動)は
心臓に平常ではない動悸という現象を起こした。
明らかに異常を示す動きだったと思う。
自分への評価を気にすると心臓が異常になり、
子供が楽しめばいい、と思った途端、その動悸が消える・・とは、
どういうことなんだろう?????
それにしても、心と身体の一部である心臓はピッタリと連動してる。
全速力で走ると心臓はバクバクする。
そのバクバクは走るのをやめた後も暫くは続くけど、
この場合のドキドキは瞬時に消えた。
身体の運動では全身がバクバクするのだろう、それで、
全身の一部である心臓も一緒にバクバクするわけで、
それは身体の運動が終えても、暫くは続くんだろう。
それと比べて、心の動きだけで心臓がドキドキするのは、
心が変われば途端に消えるんだろう。
「バクバク」と「ドキドキ」で擬態語が違うように心臓の動きは微妙なものなんだなぁ。
あまりの悲しみのせいで心臓が止まって死んでしまったとかいうことがこの世にはある、
という話も読んだことがあるけど、
在り得ないことじゃないと思うよ。