「世の中を変える」「社会を変える」・・という言葉がある。
「変える」という動詞には目的語があって、
この場合世の中、とか社会になると思うんだけど、
この言葉には変える側と変えられる側の二つの世界がある。
この場合、主語は見えないけど、主語は「私たち・私」で、それは変える側で、
「社会」は変えられる側ということになる。
なんか、当たり前のこと書いてるなぁ。
変える、というからにはそこには意志が含まれている。
変えたい、変えようという意志がある。
「社会を変える」という言葉はよく聞くけど、
その、変えられるべき社会には自分は含まれていない、というニュアンスを感じる
私は私を変えるという表現もあるけど、上の言葉使いは自分抜きのように聞こえる。
自分が社会に居ないということはないし、社会の一員ではあるんだけど、
「世の中を変えよう」という発想には、
自分は何も変わることはない 変わらなくていい という心がある。
自分以外のものが変われば世の中が変わる、と思っている。
「変える」という動詞には目的語があって、
この場合世の中、とか社会になると思うんだけど、
この言葉には変える側と変えられる側の二つの世界がある。
この場合、主語は見えないけど、主語は「私たち・私」で、それは変える側で、
「社会」は変えられる側ということになる。
なんか、当たり前のこと書いてるなぁ。
変える、というからにはそこには意志が含まれている。
変えたい、変えようという意志がある。
「社会を変える」という言葉はよく聞くけど、
その、変えられるべき社会には自分は含まれていない、というニュアンスを感じる
私は私を変えるという表現もあるけど、上の言葉使いは自分抜きのように聞こえる。
自分が社会に居ないということはないし、社会の一員ではあるんだけど、
「世の中を変えよう」という発想には、
自分は何も変わることはない 変わらなくていい という心がある。
自分以外のものが変われば世の中が変わる、と思っている。