ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

義父と夫と・・

2013-08-18 10:11:48 | 実例体験観察
相手がどう在ろうとこういう自分で在りたい、という意志が、

夫には働かないんだけど、義父には働く。

そういう意志があるから、覚悟が生まれる。

相手がどう在ろうと・・というのがそれだ。

ぼろぼろ食べ物をこぼしても、

洗ってない着たままの汚れた洋服をたんすにしまっても、

植えたばかりの植物を草と間違えて抜いてしまっても、

そういうことをあ~、そうだったんだ、と引き受けられる。

そして、それについて自分がとりたい行動を淡々ととれる。


義父がそういう行動をする前から、私の準備が整っている、という感じ。

そういう行動やあーいう行動も、起こる前から待っている、という感じ。

夫に対してはどうしてそうなってないんだろう???

・・・と、考えると・・・こういうの、初めて考えるよ。


そう在りたいという意志が希薄だからか・・

義父に対しては、人生の終わりの頃のこの時期を、

なるべく心も身体も快適に気持ちよく過ごして欲しい、

というのがはっきりと自分に在る。

それが私の在りようについての私の意志だ。

亡くなった義母に対してもそれは在った。

だがだが・・・夫にはそれが希薄だ・・・

何故夫に対してはそういう意志が希薄なんだろうか???

違いが何処で生まれるのか・・考えよう・・


残り少ない人生を・・というのが義父には働らくけど、

まだ、それほど残り少ないというわけじゃない・・みたいなのがある・・!!

うん、そうそう、それだ、きっと。

夫だって私だって明日をも知れぬ身。

明日、いや今日これから、今私の後ろで本を読んでる夫が

急死する事だって可能性としてはある。誰でもそうなんだ。

でも、意識がそうなってない。

いつまでも私の傍に居てくれるみたいな・・そんな傲慢みたいな気持ちがある。

これを書いて、その後自分がどうなるのかわからないけど、

これは私にとって発見だったよ。よかった。








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