相手がどう在ろうとこういう自分で在りたい、という意志が、
夫には働かないんだけど、義父には働く。
そういう意志があるから、覚悟が生まれる。
相手がどう在ろうと・・というのがそれだ。
ぼろぼろ食べ物をこぼしても、
洗ってない着たままの汚れた洋服をたんすにしまっても、
植えたばかりの植物を草と間違えて抜いてしまっても、
そういうことをあ~、そうだったんだ、と引き受けられる。
そして、それについて自分がとりたい行動を淡々ととれる。
義父がそういう行動をする前から、私の準備が整っている、という感じ。
そういう行動やあーいう行動も、起こる前から待っている、という感じ。
夫に対してはどうしてそうなってないんだろう???
・・・と、考えると・・・こういうの、初めて考えるよ。
そう在りたいという意志が希薄だからか・・
義父に対しては、人生の終わりの頃のこの時期を、
なるべく心も身体も快適に気持ちよく過ごして欲しい、
というのがはっきりと自分に在る。
それが私の在りようについての私の意志だ。
亡くなった義母に対してもそれは在った。
だがだが・・・夫にはそれが希薄だ・・・
何故夫に対してはそういう意志が希薄なんだろうか???
違いが何処で生まれるのか・・考えよう・・
残り少ない人生を・・というのが義父には働らくけど、
まだ、それほど残り少ないというわけじゃない・・みたいなのがある・・!!
うん、そうそう、それだ、きっと。
夫だって私だって明日をも知れぬ身。
明日、いや今日これから、今私の後ろで本を読んでる夫が
急死する事だって可能性としてはある。誰でもそうなんだ。
でも、意識がそうなってない。
いつまでも私の傍に居てくれるみたいな・・そんな傲慢みたいな気持ちがある。
これを書いて、その後自分がどうなるのかわからないけど、
これは私にとって発見だったよ。よかった。
夫には働かないんだけど、義父には働く。
そういう意志があるから、覚悟が生まれる。
相手がどう在ろうと・・というのがそれだ。
ぼろぼろ食べ物をこぼしても、
洗ってない着たままの汚れた洋服をたんすにしまっても、
植えたばかりの植物を草と間違えて抜いてしまっても、
そういうことをあ~、そうだったんだ、と引き受けられる。
そして、それについて自分がとりたい行動を淡々ととれる。
義父がそういう行動をする前から、私の準備が整っている、という感じ。
そういう行動やあーいう行動も、起こる前から待っている、という感じ。
夫に対してはどうしてそうなってないんだろう???
・・・と、考えると・・・こういうの、初めて考えるよ。
そう在りたいという意志が希薄だからか・・
義父に対しては、人生の終わりの頃のこの時期を、
なるべく心も身体も快適に気持ちよく過ごして欲しい、
というのがはっきりと自分に在る。
それが私の在りようについての私の意志だ。
亡くなった義母に対してもそれは在った。
だがだが・・・夫にはそれが希薄だ・・・
何故夫に対してはそういう意志が希薄なんだろうか???
違いが何処で生まれるのか・・考えよう・・
残り少ない人生を・・というのが義父には働らくけど、
まだ、それほど残り少ないというわけじゃない・・みたいなのがある・・!!
うん、そうそう、それだ、きっと。
夫だって私だって明日をも知れぬ身。
明日、いや今日これから、今私の後ろで本を読んでる夫が
急死する事だって可能性としてはある。誰でもそうなんだ。
でも、意識がそうなってない。
いつまでも私の傍に居てくれるみたいな・・そんな傲慢みたいな気持ちがある。
これを書いて、その後自分がどうなるのかわからないけど、
これは私にとって発見だったよ。よかった。