ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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剛と柔

2012-12-05 13:56:49 | 言葉
山岸さんの言葉で、

これからは『剛』じゃなく、『柔』一本で行こうと思う・・というようなのがある。

(『』は私がここで付けた)

彼も奥さんとの我執あれこれをかなり『剛』でやったこともあるようで、

そういう事の後の時点の言葉かなと思う。

やってみて思うところがあるのは誰でもそうかと思う。

ここのとこ、ずっとこの「剛と柔」についてが頭に浮かぶ。

私も「剛」は要らない、と思っているんだけど、本当にそうなのか、

また、じっくり書くことで考えてみたい、というのがあるみたいだ。

人との対応で、相手を正したい、という衝動や、

冷静であってもここはガーンと一発やる、

というようなのが「剛」かなと思うんだけど。

相手を正したい、糾したい、というのが生まれるということは、

相手を良くないと捉えることから始まる。

実際、ひとを傷つけるのは、傷つけないより、良くないことは確かだ。

人を殺すのは、殺さないより、良くないことは確かだ。

その瞬間の行為だけを観たらそういうことになる。

けど、その時だけという現象は無い。他との相互作用でそうなって来た。

それはそうだ。なので、それを「剛」でとっちめるのは・・・

と思うのだけど、私の鼻炎で考えると・・・

鼻炎の症状はあるより無い方がいい。それがあることでいろいろと面倒である。

しょっちゅう鼻をかまなきゃいけない。

年中鼻が痒い。

それくらいならもう当たり前になってるんだけど、

ひどくなると、くしゃみが連発するわ、顔も耳の中も痒くなるわ、

頭がぼーっとなるわ、身体が熱っぽくなるわ、で

そういうとき、私は薬を飲んでいる。

起こってしまっている現象を正そうとするもの。

強い薬なので眠くなったりする副作用もあるし、それ以外もきっと副作用は身体で起こっているのだと思う。

薬は『剛』なんだと思う。剛は必ず副作用を生む。

そういう鼻炎の症状が起こらなくなるために、減感作療法というのもあるらしいけど、

私はしたことがない。

すぐ近くに病院が無いという地域に住んでいることもあるけど、

東京に居る時もしなかった。普段はある程度のことだからその症状と共存し、

ひどい時だけ薬を飲むという方法を自分で選んでいる。

実際に身体にはなんらかの副作用は起こっているはずだけど

飲むのは一年に20錠以下だと医師に言ったら、

それくらいなら副作用は心配することは無いと言われてそういうことにしてる。

強い薬の服用は「剛」であっても、謂わば心の納得がある。

ひとが人に『剛』的対応をするとき、その他者に納得が生まれれば、

「剛」が「剛」のまま終わらない・・のか・・

「剛」が「剛」のまま終わらないのは、

そう対応された他者がその「剛」に愛を感じる場合は納得が行くのじゃないか。

相手の行為を否定して「剛」的対応をしても、

その否定に愛がこもっていると感じる場合なんじゃないか・・

でも彼が、「剛」でなく「柔」一本で行こうとしたのは・・

・・発した方が愛をもってしたとしても

それが伝わらない場合もあるし、

愛なくして発する場合もあるからだろうか。

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