「プライド」で広辞苑を見ると、誇り。自尊心。自負心。矜持。とある。
「自尊心」で見ると、それとは違うものが出て来る。
辞書というのは、その言葉がどのように実際社会で使われているか、
という観点で編纂されたものなんだろうと思うんだけど、
日本人が「自尊心」ではなく、「プライド」という言葉を使うのはどういう状況かというと、
「あの人はプライドが高いから・・」に続くのは、
ちょっと気をつけて付き合わないと・・・とか、
付き合いにくい・・とか、面倒くさい・・とか、
そういう感じかなと思う。
「誇り」の意味にある、自慢に思うこと。
引用に「誇りを傷つけられる」があるけど、そういう感じ。
自慢に思っていることを貶されても、心が傷つく人と傷つかない人とがある。
「あの人はプライドが高いから・・・」というニュアンスは、
あの人はそれで心が傷つく、ということを周りは知っているということなんだろう。
当人はそれがわかってないからこそ、そういうふうで在るんだろう。
プライドを持っているひとは、そのことは自慢できるほど高い能力がある、
ということと思う。
けど、ひとに「あのひとはプライドが高い・・」と思わせるひとは、
他者を見て、その能力が自分より低いと観ると、その他者に優しく接し、
この他者は自分の持つ能力よりももっと高いものを持っていると、感じると、
一気に牙を剥くということをする。
それは自分の能力を自慢できなくなってしまうという恐れが、そうさせる。
当然の現象かと思う。
攻撃は最大の防御というけど、守らなくちゃいけない弱さが自分に在ると、
無意識的にはわかっているので、
その弱さを守るために牙を剥くということになるのだろう。
弱い犬は吠えるのと同じだ。
ひとは弱いものに優しいから、あの人はプライドが高いから、気をつけて付き合いましょうねと、
その人の弱さをそのまま認め、それなりに付き合う。
青い本の中に、
「・・初めは迎合して来て、会得しかけると、理想社会も何もない、
・・・犠牲者が出ようが、かまわずに人を突き倒しても、
近欲に狂奔する人に対しては、口が堅くなるばかりです。」というのがある。(15頁)
この文章はプライドの高いことについてのものなんじゃないかと思う。
「近欲」という言葉は広辞苑にないし、通常使われてないもので、
彼の造語かと思う。
それは「自分さえよければいい」という心の状態を表わしているものと思う。
自分の高い能力を自慢のためのものとし、
それさえ守られれば、ひとのことなど知ったこっちゃないという獣性かと思う。
そういう獣性は放っておけばいいのかと思う。
親和・協力の人達が栄えると、やがて自滅解消し、相共の人に更生するものなので。
「自尊心」で見ると、それとは違うものが出て来る。
辞書というのは、その言葉がどのように実際社会で使われているか、
という観点で編纂されたものなんだろうと思うんだけど、
日本人が「自尊心」ではなく、「プライド」という言葉を使うのはどういう状況かというと、
「あの人はプライドが高いから・・」に続くのは、
ちょっと気をつけて付き合わないと・・・とか、
付き合いにくい・・とか、面倒くさい・・とか、
そういう感じかなと思う。
「誇り」の意味にある、自慢に思うこと。
引用に「誇りを傷つけられる」があるけど、そういう感じ。
自慢に思っていることを貶されても、心が傷つく人と傷つかない人とがある。
「あの人はプライドが高いから・・・」というニュアンスは、
あの人はそれで心が傷つく、ということを周りは知っているということなんだろう。
当人はそれがわかってないからこそ、そういうふうで在るんだろう。
プライドを持っているひとは、そのことは自慢できるほど高い能力がある、
ということと思う。
けど、ひとに「あのひとはプライドが高い・・」と思わせるひとは、
他者を見て、その能力が自分より低いと観ると、その他者に優しく接し、
この他者は自分の持つ能力よりももっと高いものを持っていると、感じると、
一気に牙を剥くということをする。
それは自分の能力を自慢できなくなってしまうという恐れが、そうさせる。
当然の現象かと思う。
攻撃は最大の防御というけど、守らなくちゃいけない弱さが自分に在ると、
無意識的にはわかっているので、
その弱さを守るために牙を剥くということになるのだろう。
弱い犬は吠えるのと同じだ。
ひとは弱いものに優しいから、あの人はプライドが高いから、気をつけて付き合いましょうねと、
その人の弱さをそのまま認め、それなりに付き合う。
青い本の中に、
「・・初めは迎合して来て、会得しかけると、理想社会も何もない、
・・・犠牲者が出ようが、かまわずに人を突き倒しても、
近欲に狂奔する人に対しては、口が堅くなるばかりです。」というのがある。(15頁)
この文章はプライドの高いことについてのものなんじゃないかと思う。
「近欲」という言葉は広辞苑にないし、通常使われてないもので、
彼の造語かと思う。
それは「自分さえよければいい」という心の状態を表わしているものと思う。
自分の高い能力を自慢のためのものとし、
それさえ守られれば、ひとのことなど知ったこっちゃないという獣性かと思う。
そういう獣性は放っておけばいいのかと思う。
親和・協力の人達が栄えると、やがて自滅解消し、相共の人に更生するものなので。