或る人を嫌な奴だとすれば(測定すれば)相手は“嫌な奴”として存在する。
嫌な奴だとする(測定する)人間が一人も居なければ、
“嫌な奴”など存在しないように、この世は作られている。
・・こういう文章をさっき書いた。
或る人を嫌な奴だと“すれば”(測定・観測すれば)の、“すれば”。
嫌な奴と“思えば”という表現ではない、と思って、そう表現した。
以前は「思えば」という表現を使った日も、もしかしてあったかもしれない。
何度も「意識の状態」「境地」「存在の状態」という表現でも書いて来た。
さっき、「みなす」という言葉がやって来た。
或る人を“嫌な奴”で在るとみなすと、その人は嫌な奴として存在するようになる。
この表現がいい、ぴったりだ。
みなす とは広辞苑で見ると(見做す・看做す)とあり、
その意味は「①見て、これこれだと仮定または判定する。
実際はどうであるかにかかわらず、こういうものだとして扱う。
②見きわめる。見届ける。
③見るようにする」以上。
みなす を 広辞苑にはなかったけど、
「見て」と「為す」のくっ付いたものという解釈も出来るなぁと思った。
そうで在ると見て、その出発点から行為すること。
「見為す=みなす」
ピグマリオン効果の(~として扱う)も見為すだ。
嫌な奴だとする(測定する)人間が一人も居なければ、
“嫌な奴”など存在しないように、この世は作られている。
・・こういう文章をさっき書いた。
或る人を嫌な奴だと“すれば”(測定・観測すれば)の、“すれば”。
嫌な奴と“思えば”という表現ではない、と思って、そう表現した。
以前は「思えば」という表現を使った日も、もしかしてあったかもしれない。
何度も「意識の状態」「境地」「存在の状態」という表現でも書いて来た。
さっき、「みなす」という言葉がやって来た。
或る人を“嫌な奴”で在るとみなすと、その人は嫌な奴として存在するようになる。
この表現がいい、ぴったりだ。
みなす とは広辞苑で見ると(見做す・看做す)とあり、
その意味は「①見て、これこれだと仮定または判定する。
実際はどうであるかにかかわらず、こういうものだとして扱う。
②見きわめる。見届ける。
③見るようにする」以上。
みなす を 広辞苑にはなかったけど、
「見て」と「為す」のくっ付いたものという解釈も出来るなぁと思った。
そうで在ると見て、その出発点から行為すること。
「見為す=みなす」
ピグマリオン効果の(~として扱う)も見為すだ。