この前怒鳴ったことを書いたけど、書くという行為をすると、
後になって、その文章だけでは済まないものが浮かんで来るときと、
全然そんなことが浮かばない時とがある。
怒鳴ったことを書いた後はこんなのが浮かんだ。
いきなり右の頬を叩かれたら、左の頬も差し出しなさい・・・
こんなふうなのが聖書にあるようだけど、
それを思い出したんだ。
いきなり頬を叩かれるなんて、通常そんなことないよなぁ・・
そう思ってた自分だったけど、今回のこれ、
この前書いた、自分がなんの落ち度もないのに(そう思った)、
いきなり怒りをぶつけられた、そのことはこういうことも言ってるのかと思ったのだ。
そうだ、通り魔とか無差別殺人無差別攻撃なんかもそれに入るね。
相手の勘違い、誤解や曲解による怒りを受けた場合のことも言ってるんじゃないか・・
そう思ったんだ。
いや、本当の意味は知らないよ。
もっと違うことなのかもしれない・・わからないけど。
その時の自分にとっては理不尽な対応も、
相手がその時そうなった・・ことは自分に全く無関係とはいえない・・
いや、初めて会っていきなりのことであっても・・
そういう全てのことは時空の中で繋がって今ここに在るのだと、
時間的にも空間的にも一体なのだと、
心底納得出来ていれば、
右の頬をいきなり殴られても、腹立ちは生まれないのかもしれない・・・
腹立ちがなければ、それが起こらないためにじゃあどうしたらいいのかを
理性的に考えられるはず・・・と思う。
けど、実際腹が立ってあんなふうに我慢なく、八つ当たりしてみて、
馬鹿なことしたなと思ったし、
また同じようなことをされたときに
自分がどんなふうに振舞えば双方の今後にとっていいか、
いろいろ考えるきっかけにはなったよ。