ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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比較するということ

2012-03-08 11:37:13 | ひとの幸福
「劣等感」のところで書いたけど、

比較なんてナンセンスと思ったこと。

比較するのはいけないとか、のレベルの話と違う。

前に書いたかもしれないけど、比較できることは限られている。

美人とかブスとかその違いは確実にある。

形が違う。謂わば空間を占める物は違う。

その空間を占める形がそのような形になったのは、

生まれついてのものといえる。

最初が違う。用意ドンというスタートラインが違う。

違う形でスタートした。

走るということでも、

0メートル地点から始まるというスタートラインが同じでないと比較できない。

スタートした地点が違うのだから正確に比べることなんか出来ない。

でも、まぁ、考えてみたら、物は一つとして同じ物が無い。

似ている物はあるし、

製品として一つの同じ機種という物はあるけど、

詳しく観察すれば同じ物はこの地球上に二つと無いという。

“同じ”という言葉はあるけれど、

事実“同じもの”はこの世に無い。

同じ とは そう捉える人間の意識にしか無い。


過去の私と現在の私とを比べることがある。

赤ちゃんの私と今の私を比べることが出来る。

走れなかったのが走れるようになったとか、

しわシミが無かったのが今はたくさんあるとか・・

まるきり別の物ではある。細胞は全部とっくの昔に入れ替わっている。

けれど、同じムカデ山とこ子だと認識してる。


同時間に空間を占める別の人間を比較するのはナンセンスだけど、

ず-っと続いている時間上に空間を占め続けている私という存在を、

時点時点で区切って比較するということは出来ることなので、

そうすることで成長、老化していることがわかる。





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