彫刻は神々をその真の型態において感覚的直観に呈示する点で、古典的芸術の本来固有の中心をなすものであるからだ。もっとも詩は、彫刻が神々のその安らかに自足した客観性に於て表現するのとはちがって、神々と人間について感じるところを語り、a〔美学Vol.Ⅱ1133〕
あるいは神々の世界と人間の世界をその活動と運動の相において描き出す点で、芸術的表現を一層完全にすることになる。b (ibid s 1133 )
吾々もここでは、まだ形式を備えていない、蕪雑な自然力の場合から考察を始め、それがいくつもの段階を経て個体的な精神性に達し、確固たる型態に凝結するにいたる経過を示さなければならぬ。・・・神託は、神々の知と意志を、なお無型態のまま自然の存在物を通じて告示する物である。 s.1133
※ギリシャ神話からキリスト教の神への人間の神に関する思想の深化、発展の過程を、抽象的普遍から具体的個別への進展として捉える。これは、ヘーゲルの発展の論理の基本的な定式である。この基本的な論理は、次のようにも説明されている。「理想への本来全く必然的な進展は、自然のごく抽象的な a
精神的諸関係の、はじめは皮相的であった擬人が、それ自体においては従属的な消極的なものとして克服され、抑圧され、この貶めを通じて独立の精神的な個体性とその人間的な型態や行為が揺るぎなき支配権を得るようになることにある。(s1134)※新約聖書の福音書に於けるイエスキリストの生涯とb
ギリシャ神話や古事記などに於ける神の描写を比べてみれば、キリスト教が神を人間として、精神として明確な個別的具体的な普遍として捉えている点に、大きな差異のあること、そこに認識の深化と発展を見ることは難くない。こうしてヘーゲルは美術の歴史の中に、人類の宗教思想の発展を確認している。c