15:27 from Saezuri
将来の革命を防止するための処方箋を示しえなかったことから来ている。ヘーゲルはただ、革命の真因を解明し、これについての無理解の横行を糺すことに自己の課題を限定せざるをえなかったのである。(S221 )W.Jaeschke「Hegels Last Year in Berlin」
15:33 from Saezuri
四 ヘーゲル宗教・国家論の射程今日の民主的な諸国家は、宗教的な寛容と政教分離の原則を確立し、国家と宗教との対立を基本的に克服したかのように見える。それはプロテスタント系の国家に限定されない。カトリックが優勢な国家においてもそうである。a
15:36 from Saezuri
それによって直ちに「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼが妥当性を失うわけではない。そのテーゼは国家と宗教との和解の必要性を意味しており、当時その和解の可能性を切り拓いたのがプロテスタンティズムだったからである。現代の民主国家が b
15:41 from Saezuri
両者の理性的な関係に達したのは、双方ともそれぞれに大人になったからである。分けてもヨーロッパの諸国はこのために高い授業料をはらった。カトリック教会自身も大きく変わった。とくに第二ヴァチカン公会議(1962~5年)以降の変貌には眼を見張るものがある。 c
15:47 from Saezuri
ここで、ヘーゲルが認めた宗教と国家との和解が基本的に達成され、両者の理性的な協力関係が確立されつつある。その意味でカトリック教会が宗教改革の要素を受け入れたと見るならば、「法治国家の安定がプロテスタンティズムのなかにのみある」というヘーゲルのテーゼは d
15:54 from Saezuri
今日の民主的国家においてむしろ実現したのである。反面、最近の民族主義の激流は、宗教的対立の根深さを見せつけている。人類がこの宗教と国家の軋轢を解消するには、かってヘーゲルが嘆いたように「まだほど遠い」ものがある。ヘーゲルが「国家に対する宗教の関係」というテーマで e
15:59 from Saezuri
思索していたものは、本来の宗教に限定されない。国家に対する主観的確信、良心、心構えの関係でもあった。この点において『選挙法論文』は今日なお示唆に富んだ批評である。 f※マルクスも見抜いていたように、「民主主義とはキリスト教の原理の完成」でもある。
16:13 from Saezuri
ヘーゲルが反対した抽象的原理にもとづく国民代議制は現代世界にすっかり定着してしまった。住民台帳にもとづく地域割りの選挙区で誰もが同じ一票を行使するという制度はすでに自明のものとなった。たとえば南アフリカ共和国で黒人と白人が投じる一票が「同じ一票」であるという抽象的同一性が、g
16:18 from Saezuri
この新生国家の自由と民主主義の出発点をなしている。けれども「一票の重さ」は「一票の軽さ」でもある。熟慮の末に一票を投じたとしても、その結果は量的に集計され、丸ごとの忠誠心にすり替えられてしまう。政治家は選挙と選挙の間には、しばしば勝手なことをする。ひとたび成立した政権は選挙戦のh
16:26 from Saezuri
争点にもならなかった政策をも権力をもって執行してゆく。それに対しては、請願署名、リコール制、違憲訴訟などさまざまな抵抗手段が保障されている。しかし、それらの制度を機能させるには莫大なエネルギーを必要とし、それでも「丸ごとの忠誠心」ヘーゲルもすり替えを阻止するのは容易ではない。i
16:32 from Saezuri
票に書き入れるのは○や×であり、せいぜい政党や候補者の名前である。量的集計を可能にするために、言語的コミュニケーションはぎりぎりのところまで縮減されている。ハーバーマスはコミュニケーションのメディアが貨幣や権力という脱言語化されたコントロール・メディアにすり替えられると、j
16:36 from Saezuri
システムが生活世界から遊離し、逆に生活世界を植民地化するというテーゼを打ち出した。今日の選挙制度のなかにそれが見事に実現している。ヘーゲルが国民代議制に反対しコーポラティズムに立つ代議制を構想したのは、人倫国家の生きた絆が解体し原子論的な散文世界が生まれるのを恐れたからである。k
16:48 from Saezuri
※この国民代議制によって、今日の日本も、ものの見事に「散文世界」に成り終わっている。ただ、歴史と民族の人倫世界の、それに対する最後の防波堤としての可能性を、皇室はもつ。アメリカや、もはや「散文世界」への扉を開けてしまったドイツ、フランスなどと異なり、最後の防波堤は残されているか。
16:56 from Saezuri
職業団体や自治体などの中間団体を基盤にした身分制議会(Staende)という構想は、一見したところいかにも古色蒼然たる印象を与える。しかし、この古い革袋に詰め込まれた内容は今日ますます切実味を帯びてきている。l (S 223)
17:12 from Saezuri
中間団体は諸刃の剣である。それは近代への移行に頑強に抵抗した。イギリスの選挙制度の改革に強く抵抗したのも貴族、名望家の特権だった。今日でも何か改革しようとするとき、最大の障害となって立ちふさがるのが、特殊利害にのみ凝り固まって、より普遍的な見地に立とうとしない団体精神である。a
17:42 from Saezuri
それは団体の利益優先の名の下に成員の自由を平気で圧殺することすらある。しかし反面、中間団体は、顔の見えない大衆社会にあって、対面状況のコミュニケーションのなかで自己と他者とが相互に確証しあえる無くてはならない「場」である。b
17:49 from Saezuri
職業団体はデュルケムにとっても個人を精神的孤立状態から救い、自己本位的自殺とアノミー的自殺を防止する切り札だった。実際デュルケムの発想は、ヘーゲルのそれに非常に近い。c
17:52 from Saezuri
彼デュルケムもまたフランス革命による均質化を憂い、「選挙区を地域的区分によってではなく同業組合によって区分すること」を提案していた。ヘーゲルが論評した選挙法改正法案は紆余曲折を経て結局一八三二年七月に成立した。この時ヘーゲルはすでにこの世を去っていた。(S223 )
17:57 from Saezuri
新選挙法による初の総選挙で大勝したホイッグ党内閣は、一八三四年に、ヘーゲルも長らく救貧法の改革をやってのけた。救貧法史上に残るこの大改革によって、労働市場の創出を妨げてきたスピーナムランド法(給付金制度)が廃止された。労働者は教区の保護から切り離され、初めて自立的な a
18:02 from Saezuri
労働力市場が形成された。生きた人間の活動が抽象的な利労働力商品として本格的に売買される時代の幕開けである。しかし、それはたんなる福祉切り捨てではなかった。新救貧法とともに中央集中型の現代福祉国家の理念が初めてスタートしたからである。中間団体の保護の外におかれた裸の個人は b
18:08 from Saezuri
今度は国家に保護を求めることになる。新選挙法がアトム的な個人と集権国家との厳しい二極対立を志向し始めていたのと同じ関係がここにもある。また、一八三二年には、「」全国的貨幣市場の形成と単一通貨発券制度の確立」をはかるために、イングランド銀行の権限が強化された。c
18:11 from Saezuri
こうして近代の抽象化が労働、貨幣、票において完成してくる。これらはすべてイギリスでの動きであり、ドイツでこうした動きが具体化してくるには、なお時間を要する。けれどもヘーゲルは先進国イギリスの動向を新聞などで注意深く観察し、そこに時代の原理の転換を鋭く読みとっている。(S224)
18:15 from Saezuri
その意味で、一八三〇年代は現代の経済・国家システムの基本原理が確立される重要な時代の転換期だったのである。ヘーゲルはこの時代の敷居のところで、七月革命とイギリス選挙法の改正という重大事件を目撃し、まもなくその生涯を閉じた。抽象化とアトミズムの原理が一見効率よく貫徹しながらも、a
18:19 from Saezuri
同時にのっぴきならない機能マヒを露呈しつつある現在、七月革命に関わる彼の執拗な思索はとりわけ啓発的であるように思う。宗教と国家の関係というテーマのもとに展開された思索は、それだけの膨らみをもった思想なのである。(S224)
18:27 from Saezuri
※旧ソ連のおよび共産主義諸国の破綻という二十世紀末の時代転換からすでに二十年が経過し、今やギリシャの財政破綻に直面しているユーロ圏や、日本やアメリカの経済、財政破綻に見られるように、ヨーロッパやアメリカ、それに日本においても、ヘーゲル以降の近代社会から現代社会に到るまでに