海と空

天は高く、海は深し

4月4日(水)のTW:#国家、#宗教、#法、#神、#人倫、#国憲、#良心 その1

2012年04月05日 | Myenzklo

 

2012年04月05日 | Twitter
 
「選挙法論文」を書き上げたあと、ヘーゲルは人生最後の夏学期を迎えた。四回目の「宗教哲学」が開講された。ヘーゲルは第一部の最後に、「国家に対する宗教の関係」という過去三回の講義にはなかったしょうを新たに立ててまで、、なおも七月の革命の衝撃理論的に応えようとしている。(S218)

11:04 from Saezuri
それは革命勃発からちょうど一年が経過した頃のことだった。しかも、ここでは、国家と宗教との関係の歴史的な詳述は、「世界史の哲学」の課題だとして、いっそう原理的な考察に集中している。ここに宗教・国家論の文字通り最終的到達点を見ることができる。(S218)

11:37 from Saezuri
まず、宗教と国家とが、①外面的に同一の関係(家父長的関係・ユダヤの神権政治)から出発し、②分離・対立の関係を経て、③再び真に同一になる、という歴史的展望が示される。 (ibid s218)※ここで示されているのは、もちろん正反合の論理だが、その意義が再検証されなければならない。

11:43 from Saezuri
ヘーゲルの時代はまさに②から③への移行に苦悶している段階にあたる。この歴史的な展望の上に立って、宗教と国家の関係のいくつかのパターンが考察される。ここで注目すべきことは、ロマン系のカトリック諸国(フランス、イタリア、イスパニア)対プロテスタントの諸国(ドイツ・オーストリア・ a

11:49 from Saezuri
イギリス)という「世界史の哲学」が示した対立図式が崩れかかかっていることである。「プロテスタントのイギリス」でも、ピューリタン革命という、フランスと類似の事態が生じ「チャールズ一世の首」が落とされたことが想起されている。「選挙法論文」の直後だけに、「宗教哲学」ではイギリスへの b

11:53 from Saezuri
関心が高まっている。前学期の「世界史の哲学」では、フランスとドイツとの対比を中心軸にして展開された。イギリスも新教国としてドイツ系のグループに分類され、統治の「安定はプロテスタント教のなかにのみある」とされていた。  c

11:57 from Saezuri
ところが選挙法改正の動きは新教国イギリスも革命の危機と無縁ではないことを教えた。それどころか、イギリスの上からの宗教改革の不十分さを下からの徹底改革で克服しようとしたピューリタニズムはすでに恐るべき威力を発揮した。たしかに、以前の対立図式はなおも維持されている。だが論述は  d

12:02 from Saezuri
明らかに変化してきている。――「プロテスタントの諸国においては、宗教と国家とのあのような統一が現存する」。「法律や権威や国憲は神に由来するもの」として尊重されている。しかしながら、『ローマ信徒への手紙』が言うように  e

12:26 from Saezuri
「法律と政治的権威(Obrigkeit)」に従うことによって神に服従する」ということが「形式的」「抽象的」なままに放置され、具体的の展開されない時には、プロテスタント国家といえども、「恣意、圧制、抑圧」の危機に見舞われる。イギリスのピューリタン革命がそうだ。f

12:34 from Saezuri
まず、「神の直接的な啓示」を受け「神に対してのみ責任を負う」とする王(ジェームズ一世の王権神授説)が現れた。しかし、この直接的な抽象「原理はその反対へと転倒する。プロテスタントにとって司祭と平信徒の区別がなくなったのであるから、神の啓示を独占する特権」もまた否定される。こうしてg

12:40 from Saezuri
「いかに統治されなければならないかを啓示によって示唆されていると主張するプロテスタントの一セクト」つまりクロムウェル率いる独立派が立ち上がりh

12:41 from Saezuri
「ついに王(チャールズ一世)の首を刎ねてしまった」。それゆえ、「法律は神の意志によってあるという[プロテスタンティズムの原理]が、一般的に確立されてはいても、この神の意志を認識」し深めることこそが極めて重要なのだ。    i (S219)

12:47 from Saezuri
ここでは、君主の正統性を神の恩寵から直接導き出す不法性とならんで、ピューリタンの直接的な確信から発するファナティズムが批判されている。いずれの直接性も〈法の理性的な体系以上に高いものはない〉という媒介的な確信へと乗り越えなければならない。a

12:50 from Saezuri
そこにこそ「宗教が国家の真実の基礎をなす」というプロテスタンティズムの原理の真の意味がある、と強調されている。この立場から、心構えと実定法との関係のあり方について、次の二つのタイプが区別される。     b

12:54 from Saezuri
α  プラトンの共和国のような、心構えを中心とした古代的システムβ  宗教は私事であって、国家は宗教に干渉せず、宗教も国憲に干渉すべきではないという近代的なシステム。α のように「心構だけというのも一面的で」国家は立ちゆかない。 βのように「万事が実定法によって    c

13:00 from Saezuri
処理され」「心構え、宗教、良心はどうでもよいものとして脇へのけられる」のも同じく一面的である。この一面性の両極を右から左へと激しく揺れ動いたのが七月革命だったとヘーゲルは見る。(S220 )※このあたりの考察は現代の問題にも関わってくる。今日の日本国憲法では、一応は政教分離がa

13:06 from Saezuri
最高裁判例などによっても具体化されているが、裁判官がこの「政教分離」の思想を歴史的にもきちんと理解ていないことや、また、ここでヘーゲルが問題にしているように、その表面的な理解では真実に問題は解決されないこと、ヘーゲルの時代から現代に到るまで積み残されたままであること、 b

13:15 from Saezuri
わが国においては、靖国神社問題や創価学会と公明党との関連とか、また一昔前に問題を起こした「オーム真理教」や「エホバの証人」などその他の宗教と、国家の関連において問題は残されたままだ。信者もまた国家の構成員である以上、悟性的に宗教と国家の関係を分離させることなどできないのである。

14:33 from Saezuri
「王権神授説」という立場は、国家一般を無権利なもの(Ein Rechtloses)と見なし、法と人倫という現実に敵対的にふるまいました。つまり、最近の革命(七月革命)は国憲の諸原理に矛盾した宗教的良心の帰結でした。(S220)

14:37 from Saezuri
しかも今やその国憲にしたがって、どのような宗教を信じるかは問題ではないこの軋轢が解消されるに日はまだ遠い先のことです。国民にとって、法と人倫というこの(具体的に)規定されたものは、その最後の確証を現存する宗教の形式においてのみもつものです。そして、現存する宗教が自由の諸原理にa

14:43 from Saezuri
結びついていない時には、いつも分裂と解決されない不和が存在します。即ち国家においてはまさに起きてはならない敵対的関係があるのです。ロベスピエール治下のフランスでは恐怖が支配しました。しかもその恐怖は自由の立場(心構え)を持っていなかった人々に向けられました。彼らは立場(心構え)b

14:49 from Saezuri
のゆえに嫌疑をかけられたからです。七月革命でもシャルル10世の内閣も嫌疑をかけられました。c※この筆者のいう「心構え」の真意が今ひとつ不明である。おそらく「Einstellung」の訳語だと思うけれど、「立場」とか「見地」「態度」などに訳したほうがよいと思う。

14:53 from Saezuri
憲法の形式によれば、君主はいかなる責任からも免れていたはずです。しかし、この形式はもちこたえませんでした。王家は玉座から突き落とされました。そこで明らかになったことは、形式的に完成された憲政においても最後の頼みの綱はやはり心構えであるということです。この心構えは国憲のなかでd

15:15 from Saezuri
脇へ押しのけられましたが、今や一切の形式を蔑視して台頭してきています。こうした矛盾が存在し、しかもそれについての無自覚が支配的です。※私たちの国憲では、主観的確信の、良心の自由は認められている。これに私たちの時代は今悩んでいるのです。これが七月革命の衝撃を受け止めたヘーゲルのe

15:20 from Saezuri
最期の言葉であった。主観的確信が国憲を振り回すことはもとより、国家と宗教的な良心(主観的確信)が没交渉という政教分離原則でも不十分であること。両者の深い一致は未解決の課題であることが強調されている。そこには諦念の響きすら感じられる。それは革命の根本原因は突き止めたが、f

 

 


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