第三点であるが、これを認識させるものとしては、ヘーゲルの書いたもののうち、ひとり政論あるのみなのである。(s 361)※解説者の金子武蔵氏はいうが、これはあまりにも早とちりの断言だろう。今手許に無く確かめようがないが、小論理学のどこかでヘーゲル自身が、c
真理を目的とする「論理学」はもっとも「役に立つものでもある」と述べていた個所があったと思う。理性は功利主義と両立することに確信を持っていた。もちろん、ヘーゲルにとっては真理が唯一であって、「功利」は付録であり、非本質的な論理的帰結に過ぎない。絶対的な目的はあくまでも真理である。c
国家にとっては必ずしも必要ではない社会的な結合とは、『法哲学』における市民社会のことであり、これには自治が許されるが、これと政治国家との媒介機関を担うものが議会である。郷国がヴェルテンベルグであった関係上、さらにはイギリスに深い関心を抱いていたために、議会制度が近代国家にとってa
不可欠のものであることを、ヘーゲルは十二分に認識していた。しかしそれだけに選挙法が彼を苦しめる問題になり、これは政論四において一応の解決に到達することになる。これによると年齢や税額によって選挙資格を決めるフランス的方法は地方団体や職業団体の役員選挙の場合に用い、これに対して国会の
場合には、被選挙権をも、選挙権をも、これら団体の役員に与うべしというのであるが、ヘーゲルの推奨するこの団体主義にも、地方団体と職業団体との関係をどうするか、それぞれの団体にどれだけの議席を与うべきかなど様々な問題があるだろうが、この点については十分な反省を欠いている。(s361)
ただ彼が議会に託した使命のうちで注意すべきは、それをもって平和的な漸進的な改革の場としているということである。政論の四は、民会側で作成した憲法草案には、この草案によって変更されていない公国の法律はすべて効力を保有する旨の但し書きが付加せられているのに関連して、この但し書きをもって
他愛もない気休めと評し、世界精神がすべての現行憲法に附するところの真実の但し書きは、およそいかなる憲法といえども絶対に確乎不動のものではなくして、議会によって持続的に平和裡に形成し直されて行くべきものであるということに存するとしている。(一七一頁)。ここにヘーゲルが決して
絶対主義者ではなく、議会の討論によって漸進的改革を行なわんとするものであり、そうすることによって実質的自由を次第に実現して行くことをもって常道とするものであったことがよく示されている。政論の五のとる態度もこの立場から解されるべきものである。フランスでは特権の盾となるような
ポジティーフなものが久しきにわたって放任されたため革命が勃発したが、イギリスにも同様なポジティーフなものが多くあるから、革命の混乱に陥らぬようにするために、選挙法のみならずその他の問題に関しても速やかに議会によって改革を開始すべきであるというのが彼の要求しているところなのである。
政論は人間の自由を、実質的自由を実現せんとするものであるが、しかし、実現は道義心によるというよりか、むしろ適切なる制度の設定によっている。だから個別的なるもの、個人的なるものを、むろん問題にしないわけではないにしても、その取上げ方はあくまでも普遍的なものの立場からなされている。
政論は実質的自由を普遍的利益として、公共的善として実現せんとするものであるといえる。だからアリストテレスのいわゆる""すなわち「大概の場合は」という立場がとられているのであって、自ずと個人の個別的な問題は残ることになるのだが、この問題の解決は宗教に譲られていると見るべきだろう。
チュビンゲン時代の『民族宗教』という手記では、宗教は政治――正確には、さらに歴史と芸術――と共に民族精神の契機をなし、両者は相互に含み含まれる密接な連関にあった。しかるに政論三以来両者は分離せられたが、これは近代国家の一つの基本指針に従ったことであると共に、
またヘーゲル自身も所属していた新教がただ個人的利害しか顧慮しない町人根性がおのれを「正当化」(上巻117頁)し絶対的承認を得んとするところに生じたものとして、根源的な「ドイツ的自由」と結託して国家的統一を破壊し、その後、統一は「外的な法的な紐帯」(上巻125頁)に求めるほか
なくなったことによっている。しかし、それだけに「外的な法的な紐帯」だけでは、自由に関しても益々個人の個別的な問題が残ることになるが、この問題の解決は人倫的なる心情と行為とを支える宗教に求められていると見るべきであろう。(ibid s 363 )
ヘーゲルの政論は、人間の自由を、実質的自由を実現せんとするものであって、ここに西欧的近代的性格がある。しかし、実現を適切な制度の設定に求めるところから、一方において το ως επί το πολύ の観点から、個々人の個別的なる問題をなおざりに附さざるをえない。
他方ではヘーゲルの目ざす自由をしてあくまでも社会(広義)における自由であるにとどまらせており、この点でもフランス革命の影響は決定的である。しかし、現実的自由には社会における自由のほかに、自然における、自然に対する自由があるが、しかし、この意味における自由を主題として
取上げられることは、ヘーゲルには、社会における自由を求める立場のしからしめることとして、殆ど見られない。これは、イデーの外化として自然を安易に定立する『エンチュクロペディー』の自然哲学がとる態度に応じるものである。自然に対する自由と正面から取組むところのないところに
産業革命のもつ意義に対して彼が盲目であったゆえんがあり、また彼のイギリス観の適切でない究極的原因もまたここに存するのである。(ibid s 364 )
※ το ως επί το πολύ ト-ホース-エピ-ト-ポリュ 「大概の場合は」「かなりの程度まで」