こうして全く本然的に自立する自由絶対の意味をもつものは、絶対者をもって内容とし、精神的主観性をもって形式とする自己意識である。この自己規定的な、思考し意欲する意識の力に比べれば、他の全てのものはただ相対的で一時的な自立性を有するにすぎない。美学Ⅱ中(s1090 )
自然の感覚的現象、太陽、天空、星辰、植物、動物、岩石、河川、海岸などはただ抽象的に自己自身に関わっているだけで、たえず他の存在物と共に移ろいすぎてゆくことを免れず、従って有限の表象にとってしか自立性を有するものとはみなされない。それらにはまだ絶対者の真の意味は現れていない。a
自然はもとより外に現れてはいるが、実は外的存在の相においてであるに過ぎない。その内面は内面それ自身として自存しているのではなく、多彩多様な現象へ放散されており、従って自立性を欠いている。具体性と自由性と無限性とをもって自己自身に関わっている b
精神においてはじめて真実絶対の意味が本当に開示され、その現実的存在の内に独立自存しているのである。このように絶対的意味が直接的感覚に与えられたものから脱却して独立自存するものと成るところの道程において、吾々が出会うのは、想像が崇高性を帯び神聖化の作用をなす場合である。c
一体、絶対的意味を持つものは、何よりも先ず。感覚性を超絶して思考する絶対の一者である。この一者はひたすら絶対者としての自己にかかわり合い、従ってその創造した他者である自然や有限者一般を、確たるよりどころを内具していない。(ibid s 1092 )
それは全て存在物を超越し支配する客観的な力として表象された普遍者それ自体である。この一者が被造物に対してこれを空しいものと観ずることもあれば、汎神論的意味でそれ自身積極的に被造物に内在するものとして意識され表現されることもある。これらの見方には二通りの欠陥がある。1093
第一に、本来の意味で個体性と人格性を持つに至っていない。従って、精神として把握されない。・・・精神だけをその内面として現出せしめ、それ自身精神の外化や実在相に成っている。第二に、絶対者が抽象的で、本当の意味で具体的な型態として現出させることが出来ない。1098
ひとり人間の型態のみが精神的な内容を感覚的なかたちで啓示することができるからである。・・人間の外形は動物のようにただ自然の、生命を持っているものであるに止まらず、それ自身のうちに精神を反映する肉体なのである。・・一般に人間のすべての型態を通じてその人の精神的性格が表現される。a