2013年の初日の出は、気仙沼で拝んだ。
気仙沼市階上(はしかみ)にある岩井崎という岬。
この辺では有名な日の出スポットらしく、岩手ナンバーの車もちらほら見えた。
しかし正月早々ここに来たのは、初日の出だけのためではない。
RQ被災地女性支援センター(RQW)の活動展が1月25~27日に東京で開かれるので、そこで階上地区の紹介をしたい、と相談があったのが11月のこと。階上地区はRQWが支援活動をしている拠点のひとつだが、支援活動自体の写真はあっても、地域を紹介するための写真はこれまで撮ったことがなかった。
それで、地域の特徴が見えるのは……正月しかない!ということになったわけ。
(午前6時の三陸海岸)
岩井崎には、7時前から100以上が集まっていた。
そして初日の出をみんなで拝んだ(といっても、みんな写メ撮ってましたけど)後は、餅まき。
これは、地元の人でつくる「虎舞保存会」と、岩井崎の手前にある「琴平(ことひら)神社」によるもの。そして餅がまかれ終わったら、人々はゾロゾロと琴平神社に歩いて行った。
そこで始まったのが、300年の歴史をもつといわれる虎舞。
参拝の長い列のすぐ隣で、10数人の保存会の人たちが勢いよく太鼓を打ち鳴らし始めた。
この虎舞は、創始期や由縁は分かっていないらしい。1723年の文献に虎舞の記述があるため、300年くらいは歴史があるのだろう、という認識だそうだ。
つまり「なぜトラなのか?」という疑問にもはっきりした答えがない。
ひとつは「虎は千里往って千里還る(1日に千里往復できるほど勢いが盛ん)」と言われることから、特に縁起かつぎを重んじる“海の人”に重宝されてきたということ。
そしてその由縁を、保存会の会長さんはこんな風に話してくれた。
「琴平神社のことを、地元の人は昔から「こんぴらさん」と呼んでるんだ。こんぴらさんは四国の辺から来たようだから、そんなようなことと何か関係あるのかなぁ」
なるほど、この辺りは昔から、九州の船がカツオを追いかけて来た地域。
それで潮の流れと一緒に、漁船だけでなくいろいろな物資も運ばれてきたという。
四国や九州発祥の神社なら、中国の影響を色濃く受けている可能性は大だね。なっとく。
そのトラも、津波で頭部分が流された。
太鼓も100個以上あったのに、残ったのは数えるほど。
それらの補充と寄付金が、横浜中華街やその他の団体から送られ、なんとか復活できたのだという。
今回「取材させてもらえませんか?」と問い合わせたら、「支援をもらった全国の人たちに、こうやって続いていることを知らせてほしい」と、逆にお願いされた。「それならビデオも撮りましょうか」と、急遽ビデオも回して完全記録することに。
そして虎舞の復活を喜びながら、保存会の人たちも被災の悲しみから立ち上がろうとしている。
たとえば会長さんは、奥さんとお孫さんを津波で流された。
太鼓叩きの子ども達は、多い時には50人ほどいたのに、震災後は15人にまで減ってしまった。
支援金で手づくりされた虎頭が、せめてひょうきんな面持ちをしていたよかったと、なんとなく思った。
この愛嬌あふれるトラが、この地にいてくれてよかった。
琴平神社で舞った後は、急いで仮設住宅に移動。
ここではおじいさんが出てきて、トラと即興で踊り合っていた。
昔から人々は、寄り集まればこうして踊り合って場を盛り上げたそうだ。太鼓の曲目にも、虎と共に人々が踊るための曲があるらしい。
“海の人”の縁起かつぎは、祭りだけにとどまらない。
こちらの神棚、一般家庭のものですよ。…ちょっと大きくないですか?
垂れ下がっている紙は、この地域ではどこの家でも見られる、キリコ。
宮城~岩手に見られる伝統的な切紙だ。これを年末に神社からいただき、奉納金を納めるのが習わし。
右から順に「魚」「野菜」「お金」「お酒」「お餅」を表している。
上の方に下がっているのも同じくキリコで、それぞれ意味がある。
右から「魚」「お金」「俵」…など。
ちなみにキリコは、神主さんによって全て手でつくられる。
写真のとおり、フリーハンド。
そして各家から持ち寄られた風呂敷に、御幣束と一緒にキリコが包まれ、配られる。(写真は12月14日)
また、神棚の左側の部屋にはご神体もあるのだが、そこに宿る神様は、なんと毎月交代するんだそうな。
そのため、鏡餅は小さいものを12個並べる。このように。
海上での無事を祈る浜の女たち、また家族の思いは、こうした形で天に届くのだな、としみじみ。
八百万の神に対する信仰も、ここでは人々の自然観となって息づいているように感じる。
その証拠に、正月に食べる朝晩の料理は、家主が玄関の前に立って東西南北に向かって4回お辞儀して捧げ、すっかり冷えたものを最後に家主が食べるのだという。しかも3日~5日間、毎日。
それもこれも、神様はひとところではなく、あっちにもこっちにも四方八方にいらっしゃるから。
自然と共に生きるということは、きっと、単に自然の中で生きるということではない。
たくさんの神様に敬意を払いながら、たとえそのうちの一人が激しく怒って災いを起こしたとしても、それでも偉大な力を崇めながら暮らすということ。
願わくば、その風習のどれもがこの先廃れることなく、ずっと永く続いてほしいと思う。
それは、便利さを求めて都会に住んでいるような人間には、願う資格もないことだろうか。
だけど、それでも厚かましく願う。
だってもしこういう風習や風景がなくなってしまったら、 私は日本を微塵も愛せなくなってしまうんじゃないか?と思うから。
…けれど逆にこういう愛しい風景をもっとたくさん集めたら、日本を愛する人が増えるのかもしれない。今の自分が、ひとつ“日本好き度”を上げたように。
2013年は行動の年。
丹念に、こころをつむごうと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます