この写真、何が「Welcome」なのかというと、
この先にあるのは、20数年前まで米海軍の基地だったところ。
それが今ではスービック経済特区と呼ばれ、地元の人や観光客で賑わっている。
フィリピンは、1991年に米軍の基地を全て撤退させた。
その中でもアジア最大だったのが、ここ、スービック海軍基地。太平洋戦争で日本が真珠湾の次に攻撃したところ。そしてその中には、核兵器が保管されていると秘かに噂されていた。
バタアン原発阻止に成功した非核フィリピン連合は、次に国内の核兵器廃絶に向けて動きだした。
国会議員に働きかけ、憲法や法律に非核原則を盛り込ませて、じりじりと“法的に”米軍を吊るし上げていった。そして米軍基地契約延長の是非を問う最終決議の日。国会前には15万人の人が押し寄せて、デモの果ての勝利を祝ったのだという。
上の写真は、その功績をあげた12人の国会議員を讃えた平和の女神像。
フィリピンはそうやって基地をなくし、代わりに海外企業を誘致した。
特区内には、旧軍施設を利用したユニークなレストランやホテルがオープンし、水族館やら動物園やらもできて観光客が訪れている。ショッピングセンターは免税のため、マニラ市内からも買い物客が訪れる。
地元の人はそうした店で働くようになり、なんと、米軍時代の3倍も雇用が増えたというデータがあるくらいだ。
(女神の像の近くで遊んでいた若者たち)
(経済特区内の店や企業や工場に通勤する地元の人たち)
(スービック経済特区内のホテル通り。今は観光客誘致が上手くいっていない)
(クラーク元空軍基地内のレストラン。元米軍施設を利活用)
(こちらはスービック内の水族館。修学旅行かしらね)
そんな万歳三唱の大成功に見えるフィリピン外交なのだが、実のところはそうでもない。
たとえばこの写真↓ なんとなく不自然でしょ。
もうちょっと近づいて撮ると、こんな感じ↓
この艦船にはフィリピンの国旗がはためいているけれど、ここには米軍艦船も頻繁にやってくる。
基地はなくなったのに、なぜ…?
スービック地域で子どもの教育支援ボランティアをしているダリーさんは、語気を強めて言った。
「日本はフィリピンよりまだマシです!米軍は基地にしか来ないから。でもフィリピンは違う。国中が基地になってしまいました!」
その原因は、1999年に締結した『訪問米軍地位協定』。
米軍の自由な出入国を許してしまったため、軍艦だけでなく、スパイも暴漢も自由勝手に入ってきて好き放題のさばるようになったという。
(詳しくは「フィリピン民衆米軍駐留」ローランド・シンブラン著、剴風社)
しかも、問題はそれだけじゃない。
一見平和そうに見える基地跡だけれど、実は基地時代に汚染された場所が未だ処理されず残っているのだ。たとえば排水、土、廃棄物… そういったものが、今もじわじわ見えないところで公害として広がっている。
地元団体は、裁判を起こしてアメリカを訴えた。
けれど、基地の完全撤去後に何を吠えようと、全て後の祭りだった。
(スービック旧軍基地のすぐ近くには、住宅街と歓楽街がある。健康被害を訴える人も)
非核フィリピン連合のローランド・シンブランさんは、過去30年間に渡って何度も日本、特に沖縄を訪れ講演している。いかにして米軍を撤去させるか、そのために何が必要か、何に注意しなければいけないかー。
そして自分の非核運動には、日本が大きく影響しているのだと言う。
「核の脅威を、本当の意味で教えてくれたのは、日本の科学者である高木仁三郎さんでした。それまでは、私にとっての反原発は、反原子力というよりも反マルコスだった。なので日本は私にとって特別な国なのです」
基地問題だけでなく、原発の闘いもまだ終わっていない。バタアン原発は何度も復活論が出ては萎んでいるし、別の場所に新しい原発を造る計画もチラホラ影を見せている。
「フィリピンは常に日本を手本にしてきました。たとえば賛成派は、いつも日本を例に出します。フィリピンと同じ災害大国でも、原発は稼働して経済成長に何役も買っているじゃないかと。だから私たち反対派も日本を例にあげるのです。原爆の被害者が今も内部被ばくに苦しんでいること。そして日本の優秀な科学者による警鐘も」
フィリピンと日本—。
似ている点は結構多い。
島国であること。地震と台風が多いこと。アメリカの影響が大きいこと。本音と建前の使い分けが上手い(と私は思う)こと。献身的(に見せるのが上手い)であること。…等々。
そして最近では中国との領土問題まで共通して、アメリカ好きの日本人は「フィリピンが中国にしてやられてるのは米軍基地をなくしたせいだ!」と、ここゾとばかりに主張している。
その点についてシンブランさんに尋ねると、答えは簡潔明瞭だった。
「中国とのいさかいは、今に始まったことじゃありません。米軍基地があった時にも存在しました。だから領土問題は基地には関係ない。基地は、紛争をなくすのではなく、逆に紛争を招くのです。本来我々の敵ではない国まで敵に回してしまうのですから」
確かに、それで日本に攻撃された歴史が、まさにそのことを証明していた。
今後もしアジアで戦争が起きるなら、それは中国とフィリピンの間ではなく、中国とアメリカの間、もしくは中国と日本&アメリカの間に違いない。そうすればその近辺にある米軍基地は攻撃の的となり、その周辺は、勝つ訳でも負ける訳でもないのに大きな被害をこうむる羽目になる。
…でも、アメリカが国を守ってくれないと、ちょっと不安では? と尋ねると
「国は本来、自力で守るべきです。どこかの国に頼るべきではない。事実、日本やフィリピンや韓国以外の国の多くは、そうしてるじゃないですか」
…はい。でも近くには中国がいるので、気が気じゃありません。日本は自衛隊を国防軍にして、核兵器まで保有すべきだという意見も出てますけど。
「自力で国を守るために、なぜ核兵器が要るんですか?核兵器なんか持ったら、逆に相手に核兵器を使わせるいい口実を作るだけじゃないですか。こっちが持ってなければ相手は使えない。それは国際情勢が許さない時代です。お互いに核兵器を持っているから核兵器戦争になるんです」
…た、たしかに。
こうして、核に対するド素人の稚拙な質問は木っ端みじんに払拭された。
とはいえ、フィリピンだってまだまだアメリカにおんぶにだっこなのが現状。中国との摩擦が取りざたされれば、市民にも「やはり米軍が必要なのでは…」と意見する人も少なくないと聞く。
社会運動というのは、いつだって、どこだって、順風満帆にいくことはないんだろう。
成功と失敗を繰り返し、それでも続け、前進していかなきゃいけない。そういうものなんだ。
シンブランさんと別れる際、最後にひとつだけ聞いてみた。
「だけど、終わりのない闘いは疲れませんか?」
彼はにっこり笑ってこう答えた。
「問題のない社会なんて、つまらないじゃないか!」
…そうか、そういうことか。そういうことなんだ。
希望は問題で覆い隠されてるわけじゃない。私たちが見失ってるわけでもない。社会とはそもそも不完全なもので、問題に溢れ、放っておけば右にも左にも上にも下にもぐにゃぐにゃと曲がってしまう、実に心もとないものなんだ。
わたしたちはそれを少しでも良かれと思う方向に、常に手綱を引いていかなきゃいけない。
それは希望という光を頼りにするわけじゃなく、その時その時に、みんなで決めていけばいいもの。もしくは誰かの「この指とまれ」に便乗してもいい。とにかく大事なことは、社会というのはでっかい有機体であり、人間というのはそれを構成している細胞みたいなものなんだということ。
社会はうごめく生物なり。
社会人とはその細胞であり、騎手であるべし。
…いわれれば、当たり前か。
でも、厄介なほど大きな生物の中に生きる細胞が、別の生物の中で奮闘する細胞と互いに励まし合い、成功と失敗をシェアし合い、学び合って切磋琢磨する様は、なんだか逞しくて面白い。
アニメーションにしたら分かりやすいかもね。
社会運動とはそんなだから、つまり、失敗したからといって投げやりになる必要はなく、希望を失う必要もなく、ただあきらめずに、自分が細胞であることを楽しめばいいんだ、きっと。
そう思ったら、たとえ政権が自民党になろうと別にいいじゃないか、と思えてきた。
何がどうなろうと、がん細胞や死細胞にならないためには、いっぱい食べて、とりあえず健康でいなくちゃね。
なんだかよく分からない結論になりました。この辺で終わります。m(. .)mデワ。
いろいろ考えながら書いてるうちに分からなくなってきて、投げ出すように終わってしまったのですが…、そんな風に受け取ってもらえてとても嬉しいです。
選挙の結果があんな風になって、私の回りでも落胆の声が聞こえます。
脱原発運動も、せっかくあれほど盛り上がったのに、この先どうなっていくやら…となんだか不安です。
だけど、そもそも落胆する必要なんてないんだよね、と思えるようになったのは、まさにシンブランさんのおかげ。そのことを少しでも伝えたくて、ぐちゃぐちゃ頭を掻きむしりながら書きました。
自分はどんなアクションを起こしていけるのか、引き続き模索していこうと思います。
人生は、アクティブになればなるほど面白いんですね、きっと。
せっかくの命だから、楽しまなきゃ損です。
ローランド・シンブランさんの言葉が心に響きました。
バタアン原発問題と向き合い、米軍基地がもたらした今だに深刻な環境破壊にも向き合い続ける者が発する言葉。
そうそう!シンブランさんの社会運動を広げるコツのお話も、とても興味深かったです。
・相手に何かを伝えたいなら、「相手の興味・関心事」と、つなげよう
・広報こそ、クリエイティブに
アクションを起こし
ひとつの壁を打ち破る
また、新たな壁が現れても
アクションを続ける
その過程で
時には、結びつき
時には、離れる
でも
めいめいが、今、この瞬間を共有している社会の構成員
社会は巨大な有機体で、我々は細胞
わかるような気がします。その時その時で、時には激論しながらも細胞同士が協力し合うことで、巨大な有機体が存続できるのかな。