酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

アンリのハンドを考える

2009-11-25 06:06:38 | Weblog
 2010年サッカーW杯に出場する32チームが決まったが、フランスvsアイルランド戦でのアンリの「ハンド」が大騒動を巻き起こしている。試合からもう1週間がたつが、騒ぎは大きくなる一方のようだ。

 一報はこんなスタートである。

 《延長戦の末、フランスに屈したアイルランド。終了の笛が鳴ると、選手はピッチの上に力尽きるように横たわった。
 アウェーで持ち前の粘りを存分に発揮した。前半32分に、ワンツーで左サイドを抜けたダフの折り返しを、キーン主将が右足で合わせ、先制点。2戦合計で試合を振り出しに戻した。しかし、延長前半に悪夢の場面。フランスの決勝点の直前に、アンリのハンドがあったが、主審の笛は鳴らなかった。
 イタリア人のトラパットーニ監督は、「落胆すると同時に悲しい。PK決着になる試合だった」。だが、健闘したものの、2試合を通じてゴール前の決定力不足は明らかだった。不運ではあったが、そこが最後の差を分けた》=18日時事=。

 競技場内でけりをつけるべき事柄に、政治が口を出してくるとこうなる。アイルランド首相のカウエンは翌19日、「フェアプレーはスポーツの基本」としたうえで政府として再試合を求めると息巻いた。押され気味のサルコジは「私は審判の役割を求められても…」と防戦しきりだったという(共同)。

 ビデオを見ると、アンリのハンドは疑いようがない。故意に「左手でトラップ」したようにも見える。でも、一人の審判もこのシーンを見ていなかった。

 スポーツとはそういうものではないか。審判が認定しなければ「あった事実」も「ない」のだ。審判の目を盗んでファールをするのはどんな競技でも当たり前になっている。問題はその悪質さや危険性である。

 ハンドは良くある反則だ。しかし、手に当てた選手が自分からハンドを申告したケースなど目撃したことがない。大抵は手を上に上げるか横に広げて振り、「当たってないよ」とアピールしている。

 フランスのテレビ局のアンケートでは81%が「フランスはW杯に出場する資格がない」と答えているという(ロケットニュース)。かつてW杯を制したとき、「国家も歌えない連中が」と評したお国柄である。もし、これがアンリではなく生粋のフランス人の行為だったらどうだったか。

 神の手があれば、仏の手もある。それがサッカー。誤審も楽しむぐらいの度量がなくてはつまらない。
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