酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

悼む人たち

2015-03-05 16:21:51 | ニュース
 いつからこのような光景が当たり前になったのだろう。事件や事故の現場で死者に手向けられるおびただしい花々や品々の山のことだ。

 事件発生から2週間以上がたった川崎中1惨殺事件の現場には今も「悼む人たち」の列が途絶えないという。

 《川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)が刺殺体で見つかった事件で、遺体が発見された現場付近には、救ってやれなかった無力をわびるメッセージが数多く寄せられている。4日も手を合わせる人が絶えず、大人として何ができるのか自問する姿が見られた。

 上村さんと同じ中学1年の息子がいるという保護者は、上村さんの部活動にちなんだバスケットボールにペンでこうつづった。「上村君へ 助けてあげたかった!何もできずごめんね。許してね。写真を見る度に優しい上村君の笑顔が悲しく涙がこぼれます」。「おじさん」と称する男性が薄墨で書いた色紙には、「つらかったろうね。不条理なことで、とても悲しいです。おじさんは、この事件の本質に何があるのか考えてみます」と書かれていた。

 東京都葛飾区から来た会社員、石山猛さん(41)は、数珠を手に線香を上げ、上村さんに「君は強い子だったね。上級生に万引きしろと言われても断って」と語りかけたという。「高校2年の長男がいる。一人の親として早く手を合わせに来たかった。子どもは大人が守ってやらなきゃ。どうにかして止められたんじゃないか」と涙をぬぐった》=毎日jp=。

 多摩川河川敷の現場を訪れる人のほとんどが「心優しき人々」であり「ここに来ないではいられない」人たちだろう。その心情は理解できる。だが、どうもスっと心に落ちないのも事実だ。ここに集う人々は他人を思いやる想像力が豊かな人で、当方はそこが鈍感なためなのかもしれないが…。

 被害者のあどけない笑顔と残忍な殺害手口などが多くの人の心を揺さぶったのは確かだ。しかし、誤解を恐れずに言えばこの事件は「チンピラもどきのリンチ」であり、根は単純だ。被害者に同情が集まり、「なぜ周囲が気づいてやれなかった」との声が高い。それをいうならもっと早い段階、被害者が18歳少年らとつるみ始めた昨年夏から秋にかけてがチャンスだっただろう。悪い仲間とズブズブになってからでは手の打ちようがない。

 中1の少年を悼む人々は自分の中の何かを納得させたくて「お参り」しているのだろう。そうすること多少なりとも気がすめば、他人がとやかく言う事ではないかもしれない。しかし、しっかりお化粧をして、コメントまで準備していたと感じさせる「悼む人々」の群れには、どうしても違和感が残ってしまう。
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