お芝居を観始めてから気付いた事があります。
「千秋楽」と言うのは、客席も舞台も独特の雰囲気です。
長らく上演して来た演目も本日で最後と言う雰囲気。
客席にも舞台にも「感謝」の気が満ちています。
それは演者と観客と双方で、上演して来た舞台を日々創り上げた証拠だと思います。(演者:舞台に出ないスタッフの方々も含め)
私はお芝居ではありませんが、「ステージ」と言う物に10年程かかわった事があります。
演者が作った物はもちろん作品ではありますが、それは観客の手を借りなければ育たないのです。
お芝居にも同じ事が言えると思います。
最初に披露した時よりも、何度も披露した後の方が技術的な事も精神的な事も安定して来るのは当たり前の事です。
しかし、それは演者が勝手に上達したわけではなく、本番の舞台で観客と共に物語を生きた結果だと思います。
演者は毎回「本日、この時限り」の観客の前に立ち、間違いなく全力を尽くします。
それが彼らの仕事だからです。
俳優で演出家の串田和美さんと言う方が、「観客は舞台を創るもう一人の相棒だ。」と言う様な事をおっしゃっていました。
「楽しい気持ちばかりじゃない、一緒に辛い思いをする時もある。」と。
お芝居の観客として日の浅いアタシですが、ステージに関わった者として串田さんのおっしゃる事は凄くよく分りました。
幕が開いたら、その空間に居る人々はその物語を旅する仲間達なんだと思うんです。
「渇いた太陽」と言うお芝居を観に行った時、休憩時間に「この話じゃ、はまれないよ!」とトイレの列で文句を言ってた女性が居ました。
だったら帰ればいいし、そんな事は帰った後でお友達に電話なりメールなりすればいい事であって、他の観客達の居る前で言う事ではありません。休憩時間中とは言えまだお芝居は終わっていないのだから無神経です。
それから映像化された作品を「自分が行った日の方が断然いい芝居だった。」などと言う言葉をネット上で見かけたんですが、これは「本日、この時限りの客席と共に」と舞台に立つ演者達に対して、それからその時の空気を役者達と創り上げた観客に対して、失礼きわまりない発言です。
本番中に客席で喋ったり、携帯の着信音を鳴らしてしまうのと同じかそれ以上のマナー違反です。
そんな事を言う権利は本来誰にもないはずです。
前述した通り、千秋楽へ向かうにつれ演技や仕掛けが安定して行くのは当然の事です。
しかし、それはその日までの演者と客席との関係があるからこそ出来上がる舞台であり、アマチュアならいざ知らず彼らはプロフェッショナルな方々なのだから、毎回ベストなお芝居が上演されているとアタシは思います。
チケット代の高い舞台のお芝居は何度も行けないし、良い席での観劇が出来ない事だってあります。
舞台に立つ演者の皆さんは、一番後ろの座席に座る観客にも届く世界を生きています。それが彼らの使命なのだから。
「舞台の演技は会場に居るお客様全員へ向けての演技。」と、上川隆也さんもどこかでお話ししていました。
ネット上では色んな言葉が無遠慮に飛び交います。
でも自分の好きな俳優さんの出演するお芝居に1度しか行けず、手にしているチケットの種類がどうであれ、心配御無用とアタシは思います。
小難しく批判したり自分の気に入らない全てに対して文句を言うより、役者の皆さんと共にストーリーを旅する方が断然楽しく、豊かな観劇の仕方である事に違いありません。
そのほうが演者達の伝えてくれる物をより多く受け取る事が出来ると思います。
お芝居を最大限楽しめると言うことです。
”その空間”は演者と客席が創ってゆくものです。
批判めいた事を書いて流す事は、なによりもこれからそのお芝居を観る観客達に対して非常に無神経な行動です。
アタシも自分で責任の取れない言葉は発信しないように気をつけたいと思います。
「千秋楽」と言うのは、客席も舞台も独特の雰囲気です。
長らく上演して来た演目も本日で最後と言う雰囲気。
客席にも舞台にも「感謝」の気が満ちています。
それは演者と観客と双方で、上演して来た舞台を日々創り上げた証拠だと思います。(演者:舞台に出ないスタッフの方々も含め)
私はお芝居ではありませんが、「ステージ」と言う物に10年程かかわった事があります。
演者が作った物はもちろん作品ではありますが、それは観客の手を借りなければ育たないのです。
お芝居にも同じ事が言えると思います。
最初に披露した時よりも、何度も披露した後の方が技術的な事も精神的な事も安定して来るのは当たり前の事です。
しかし、それは演者が勝手に上達したわけではなく、本番の舞台で観客と共に物語を生きた結果だと思います。
演者は毎回「本日、この時限り」の観客の前に立ち、間違いなく全力を尽くします。
それが彼らの仕事だからです。
俳優で演出家の串田和美さんと言う方が、「観客は舞台を創るもう一人の相棒だ。」と言う様な事をおっしゃっていました。
「楽しい気持ちばかりじゃない、一緒に辛い思いをする時もある。」と。
お芝居の観客として日の浅いアタシですが、ステージに関わった者として串田さんのおっしゃる事は凄くよく分りました。
幕が開いたら、その空間に居る人々はその物語を旅する仲間達なんだと思うんです。
「渇いた太陽」と言うお芝居を観に行った時、休憩時間に「この話じゃ、はまれないよ!」とトイレの列で文句を言ってた女性が居ました。
だったら帰ればいいし、そんな事は帰った後でお友達に電話なりメールなりすればいい事であって、他の観客達の居る前で言う事ではありません。休憩時間中とは言えまだお芝居は終わっていないのだから無神経です。
それから映像化された作品を「自分が行った日の方が断然いい芝居だった。」などと言う言葉をネット上で見かけたんですが、これは「本日、この時限りの客席と共に」と舞台に立つ演者達に対して、それからその時の空気を役者達と創り上げた観客に対して、失礼きわまりない発言です。
本番中に客席で喋ったり、携帯の着信音を鳴らしてしまうのと同じかそれ以上のマナー違反です。
そんな事を言う権利は本来誰にもないはずです。
前述した通り、千秋楽へ向かうにつれ演技や仕掛けが安定して行くのは当然の事です。
しかし、それはその日までの演者と客席との関係があるからこそ出来上がる舞台であり、アマチュアならいざ知らず彼らはプロフェッショナルな方々なのだから、毎回ベストなお芝居が上演されているとアタシは思います。
チケット代の高い舞台のお芝居は何度も行けないし、良い席での観劇が出来ない事だってあります。
舞台に立つ演者の皆さんは、一番後ろの座席に座る観客にも届く世界を生きています。それが彼らの使命なのだから。
「舞台の演技は会場に居るお客様全員へ向けての演技。」と、上川隆也さんもどこかでお話ししていました。
ネット上では色んな言葉が無遠慮に飛び交います。
でも自分の好きな俳優さんの出演するお芝居に1度しか行けず、手にしているチケットの種類がどうであれ、心配御無用とアタシは思います。
小難しく批判したり自分の気に入らない全てに対して文句を言うより、役者の皆さんと共にストーリーを旅する方が断然楽しく、豊かな観劇の仕方である事に違いありません。
そのほうが演者達の伝えてくれる物をより多く受け取る事が出来ると思います。
お芝居を最大限楽しめると言うことです。
”その空間”は演者と客席が創ってゆくものです。
批判めいた事を書いて流す事は、なによりもこれからそのお芝居を観る観客達に対して非常に無神経な行動です。
アタシも自分で責任の取れない言葉は発信しないように気をつけたいと思います。