> 今回は「日華事変」がテーマですね。。。
ええ。まず1937年の蘆溝橋事件ですが,これについては,以前中国人の友人と議
論した事を記憶しています。。。
> 面白そうですね。。。
親日派の彼の主張によると,日中戦争で最大の利益を得たのは中国共産党である
との意見でした。。。
なるほど...と感じたので,蘆溝橋事件において,日中両軍が対峙する中,戦端を
開くために,先に日本軍に発砲したのは中国共産党員だった...という見方がある
事を紹介しました。
> 反応はどうでした?
「...さも在りなん」との見解でした。。。基本的に自国政府に批判的な人でした
ので。。。
しかし,戦端はどうであれ,蘆溝橋の様な場所に日本の軍隊が進出している事自
体に旧日本軍の行動には問題があった...と反論していました。
日本軍がこの様な場所まで進出していれば,戦争が始まる事は時間の問題だった
との見解です。
> なるほど,結局日本軍の侵略行為が日中戦争の原因である...との意見ですね。
そうです。当時私は彼の反論を至極納得して聞いていました。
> これに反駁する余地はありますか...?
資料によると,当時中国は内乱が激化し,北部の治安が極度に悪化したため,日
本人居留民保護の必要性から天津軍を派遣し,1910年に締結された北清事変最終
議定書の趣旨に則って,北京の西南4キロの豊台に1個大隊を配備したとの事です。
当日蘆溝橋付近で夜間演習を行っていたのは,その一部(第8中隊)でした。
> 北京に進攻するのに1個大隊の兵力では少なすぎますよね...
> やはり治安維持が目的だった,とするのが自然ですね。
決定的であるのは,蘆溝橋事件の前年...つまり1936年の12月に蒋介石の国民党軍
に壊滅寸前まで追詰められていた共産党側に国民党軍の張学良が寝返り,蒋介石
を捕えて捕虜にした事...そしてその結果「第二次国共合作」が成立して,抗日に
向けて方針転換が図られた事実です。
> 蘆溝橋事件発生の1937年には反日勢力が一気に攻勢を強めていた訳ですね...
ソ連と中共は,国民党軍と日本軍の衝突を待ち望んでいた状況です。。。
また国民党軍の張学良は,親父の張作霖を爆殺した犯人が日本軍人であると信じ
ており,(注:これは事実河本大佐の犯行である事が今日確認されている)かつ
祖国の満州を追われた恨みもあって抗日に意欲的だったと伝えられています。
> なるほど...では開戦は,ほぼ間違いなく中国側の意思だったと言う訳ですか...
> 日本は中国における自国居留民および権益の保護を目的に自衛戦を闘った...
実際紛争が始まった7月には,戦闘で守備が手薄になっていた通州で日本人居留
民260名が惨殺されています。
それでも事変勃発を聞いた本国の日本政府は,当初いち早く「事変不拡大方針」
を指示して事件の早期収拾を図ろうとしていました。。。
> ...しかし戦火は拡大を続けた...何故でしょう?
それが昔,私には理解できなかったのですよ。。。
現地軍(関東軍)は,本国の命令を無視し続けた様にも受取れる...
それほど陸軍の軍規は乱れていたのか?...それとも満州国の前例を見て,中国に
独立国家を作る様な陰謀でもあったのか...??
> 関東軍は殆んど連戦連勝だった訳でしょう...?
> 解せないですね...やはり...
今日明らかな事は3点あります。。。
でも長くなりそうなので,続きは次回にしましょうか...
> なるべく早くお願いしますね。。。待ってますので。。。
ええ。まず1937年の蘆溝橋事件ですが,これについては,以前中国人の友人と議
論した事を記憶しています。。。
> 面白そうですね。。。
親日派の彼の主張によると,日中戦争で最大の利益を得たのは中国共産党である
との意見でした。。。
なるほど...と感じたので,蘆溝橋事件において,日中両軍が対峙する中,戦端を
開くために,先に日本軍に発砲したのは中国共産党員だった...という見方がある
事を紹介しました。
> 反応はどうでした?
「...さも在りなん」との見解でした。。。基本的に自国政府に批判的な人でした
ので。。。
しかし,戦端はどうであれ,蘆溝橋の様な場所に日本の軍隊が進出している事自
体に旧日本軍の行動には問題があった...と反論していました。
日本軍がこの様な場所まで進出していれば,戦争が始まる事は時間の問題だった
との見解です。
> なるほど,結局日本軍の侵略行為が日中戦争の原因である...との意見ですね。
そうです。当時私は彼の反論を至極納得して聞いていました。
> これに反駁する余地はありますか...?
資料によると,当時中国は内乱が激化し,北部の治安が極度に悪化したため,日
本人居留民保護の必要性から天津軍を派遣し,1910年に締結された北清事変最終
議定書の趣旨に則って,北京の西南4キロの豊台に1個大隊を配備したとの事です。
当日蘆溝橋付近で夜間演習を行っていたのは,その一部(第8中隊)でした。
> 北京に進攻するのに1個大隊の兵力では少なすぎますよね...
> やはり治安維持が目的だった,とするのが自然ですね。
決定的であるのは,蘆溝橋事件の前年...つまり1936年の12月に蒋介石の国民党軍
に壊滅寸前まで追詰められていた共産党側に国民党軍の張学良が寝返り,蒋介石
を捕えて捕虜にした事...そしてその結果「第二次国共合作」が成立して,抗日に
向けて方針転換が図られた事実です。
> 蘆溝橋事件発生の1937年には反日勢力が一気に攻勢を強めていた訳ですね...
ソ連と中共は,国民党軍と日本軍の衝突を待ち望んでいた状況です。。。
また国民党軍の張学良は,親父の張作霖を爆殺した犯人が日本軍人であると信じ
ており,(注:これは事実河本大佐の犯行である事が今日確認されている)かつ
祖国の満州を追われた恨みもあって抗日に意欲的だったと伝えられています。
> なるほど...では開戦は,ほぼ間違いなく中国側の意思だったと言う訳ですか...
> 日本は中国における自国居留民および権益の保護を目的に自衛戦を闘った...
実際紛争が始まった7月には,戦闘で守備が手薄になっていた通州で日本人居留
民260名が惨殺されています。
それでも事変勃発を聞いた本国の日本政府は,当初いち早く「事変不拡大方針」
を指示して事件の早期収拾を図ろうとしていました。。。
> ...しかし戦火は拡大を続けた...何故でしょう?
それが昔,私には理解できなかったのですよ。。。
現地軍(関東軍)は,本国の命令を無視し続けた様にも受取れる...
それほど陸軍の軍規は乱れていたのか?...それとも満州国の前例を見て,中国に
独立国家を作る様な陰謀でもあったのか...??
> 関東軍は殆んど連戦連勝だった訳でしょう...?
> 解せないですね...やはり...
今日明らかな事は3点あります。。。
でも長くなりそうなので,続きは次回にしましょうか...
> なるべく早くお願いしますね。。。待ってますので。。。