鮎太郎のラストファイト

 鮎釣りを始めてから38年が過ぎました。
北は新潟、南は熊本まで機会がある度に遠征しています。
今期も行くぞー!!

2025 3月26日(水) 黄砂の中 賀名生梅林へ行く

2025-03-26 19:17:42 | まち歩き

 先日、『長居フィッシング』へ行き、今期に不足するかもと思った道具類を
購入してきました。
 今回訪問した『賀名生(あのう)梅林』は、天川の下流から入るコースで、毎回
通っている道の途中で見ていた梅林でした。

 毎年 何処かの梅林へ行っていますが、『月ヶ瀬梅林』 『広橋梅林』と
『賀名生梅林』と候補に挙げていましたが、2万本と言う梅の木の数に目が行き
又、いつも通っている西吉野の道を選びました。

 朝 8時半に自宅をでて、9時過ぎに五条の交差点を南下しました。
間もなく、トンネルをくぐって賀名生の里に到着しました。
 南朝時代に一時 天皇が住まわれたと言う住居や、歴史民俗資料館を見学させて
もらって賀名生地区のいわれがわかりました。
               
     賀名生の里 入口        一目一万本          資料館前の公園        しだれ梅

               
     南朝時代の皇居         梅林への登り口        頂上付近から         紀の川支流の丹生川

 数百mの山の高さの中、家人は張り切って坂道を 写真を撮りながら上って行きます。
サングラスに深めの帽子、それにマスクを二枚重ね。 
 強い風が黄砂を一層強くした模様で、立ち並んでいる旗は激しく音を立てながらなびきます。
そんな中を、丘の頂上付近まで上ると、私はダウン寸前でした。 「もう 下りよう・・」
やっとの事で家人が納得してUターンして下って行きました。

 確かに これほどの梅林は見た事が有りませんでした。 感動の中 帰途に付きました。
黄砂にまみれた身体を洗うため、言うまでも無く温泉に寄りました。
 『かもきみの湯』に立ち寄って、遅い昼食を取って、温泉でほこりも取りました。

         本日の走行距離= 96㎞




2025 2月17日~19日 ラストファイト??

2025-02-20 09:11:16 | スキー

  大雪の中 岐阜県 ダイナランドスキー場へ行きました。

 2月17日(月)

 自宅をAM10時に出発して一路 ダイナランドスキー場を目指して走りました。
西名阪→東名阪→名古屋高速→東海北陸自動車道と走って今晩の車中泊地の道の駅
『古今伝授の里 やまと』着きました。
 隣接した『やまと温泉 やすらぎ館』で運転の疲れを取りました。

 今回のスキー旅行の目的の一つに、氷点下の中の車中泊を無事乗り切れるかを
経験したいと言う事がありました。
暖々寝袋を上下に敷き、その上に電気毛布を掛け 又 その上に羽毛布団を掛けて
就寝しました。 身体は暖かいのですが顔は冷たく、冷たい空気を避けるため布団を
頭からかぶって一晩を過ごしました。

           
     道の駅 やまと         氷点下の朝を迎え       スキー場へ出発


 2月18日(火)

 朝市が出ると言う道の駅でしたが、残念ながら火曜日が定休日で開催なし。
AM8時過ぎに道の駅を出て、高速の高鷲ICから一般道を経由して山道に入りました。
スタットレスにタイヤチエーンをかまして走るつもりでいたのですが、下って来られる
運転手に聞くと 「チエーン無しで行けますよ」との答えを信じて走りました。
 FFのセレナで雪道を走るは初めての事で、北海道の冬を2シーズン経験したと言う
自信も何処かへ行っていました。
アイスバーンの上に粉雪が掛かり、おまけに相当な坂道です。
ブリヂストンのVRX3のスタッドレスで、タイヤは十分雪を掴んで走ってくれます。

 やっとの思いで今夜の宿泊先のダイナランドスキー場下の『ホテル ヴィラモンサン』
へ着いたのは 10時前でした。

            
      ヘルメットにマーク       ゲレンデ ①         ゲレンデ ②

            
       ゴンドラ到着         林間コースへ         下りたらクタクタ

 早速 到着手続きを済ませ、家人とゲレンデに出ました。
何と言う混雑状況でしょうか。50数年前のスキーブームの時の様な混雑ぶりです。

 昼食後、何処かに空いていて なだらかなゲレンデは無いものかと隣のゲレンデ
(高鷲ゲレンデ)まで捜しに行きました。
しかしながら、あちこちのリフトに乗って捜すも適当なゲレンデは無く 元のゲレンデに
戻った時には、もうクタクタになっていました。

 午後の4時にはホテルに戻り、温泉と夕食で生き返りました。

さて、明日はと言うと ニュースでは大雪の事ばかりです。列車の運休・道路の通行止め
・これから24時間で xxcmの積雪と言った話ばかりです。


 2月19日(水)

 さて、起きると20cm程の雪がさらに積もっていました。
「家人は昼まででも滑ったら・・」  と言うものの、相変わらずテレビでは大雪情報ばかり
で、私をビビらせています。
夕方にホテルを出て、果してその後は・・??
雪に閉じ込められても、暖房対策・食料対策・トイレなどの対策は全てで来ているのですが
 気に掛かるのは、名神高速の通行止め・名阪国道の通行止め(?)です。

 早いうちの帰阪に決めました。

            
       一晩ですっぽり        ホテルの玄関          ビビった下り

 東海北陸自動車道の高鷲ICまでの道は、ツルツル道の下りにビビりました。
時折出るカーナビの見た事の無いメッセージにびっくりして、又 無抵抗の様なタイヤの滑り。
高速に乗って やっと一息つく有様でした。
 あまりスピードも出せず、雪の少ないだろうと思われる伊勢湾近郊での吹雪には驚きました。
西名阪の通行止めに合わずに、朝 9時にホテル ヴィラモンサンを出て自宅到着は16時と
なっていました。 何と 7時間もかかっていました。
                           全走行距離=552㎞ でした。

 【 追記 】
 今回のスキーで高鷲ゲレンデからダイナランドゲレンデに戻る際、到着して気が抜けたのか
平坦な処で こけて立ち上がる事が出来ず 板を外して立ちました。
体力の衰えが身に染みる出来事でした。
 若い頃から雪道走行が気に掛からなかったのに、今回の雪道には降参しました。
そんな処で、今回のスキー旅行がラストファイトになるかも知れません。      
 


2025 1月31日(金) 痛い!! 10針縫う 

2025-01-31 15:29:24 | 健康・病気

 昨年末、わが家の和室 2部屋の壁紙を張替えて、自信が付いたのか
家人が、今度はリビングの壁紙を張り替えようと提案して来ました。
 「エーッ ⁈」 コンセントやスイッチ等 ごちゃごちゃと付いている
部屋で 「果たして出来るのか?」と思いつつも 押し切られて参加。

 30m巻きの壁紙束が2本 送られて来たら始めなければどうしよも
無くなりました。

 1日目は古い壁紙を剥がすところからスタートしました。
マスクをして、汚い空気を吸うのを気を付けどんどん作業は続きました。
 事件は2日目にありました。
カッターナイフの刃を換えている時 何があったのか 『スパーン !』
と、薬指と小指にナイフの刃が飛び込んで行きました。
しっかり握っていても、ハンカチの血はあふれ出て来ました。
「こりゃーダメ!。救急車呼んで!」 と家人に告げ 救急車を待ちました。

           
   壁紙落とし    台所扉 壁紙        張替え完了         痛恨の怪我

 数分後、サイレンが近づいて来て我が家の前に止まりました。
救急車に乗り込んで、隊員さんに応急処置をしてもらい にじみ出ていた
指からの血はやっと止まった様でした。
 土曜日の午後だったので、受付できる病院が見つからない様でした。

 十数分 自宅前で止まって、受けてくれる病院が決まって出発です。

 堺市美原区の『田中病院』に着き、担当医に診て貰って手術開始です。
麻酔の為の注射が何度も指の周りに打たれました。「痛ーッ!!」
薬指に6針 小指は4針 合計10針の縫合でした。

 三日間 病院通いをして、腱が切れていないのを確認してもらいました。

 そうして、遅れていた壁紙貼りも順調に進み、2月1日(土曜日)には
完了する予定です。


2025 1月5日(日) 初詣で初めて見つけました

2025-01-05 16:19:32 | まち歩き

              
       聖徳太子御廟           道標          五字ケ峰の宝塔

 子供や孫が帰った後、一日はゆっくりとして明けた今日、5日に初詣に
出かけました。
2㎞ほどの道のりを歩いて 我が家の菩提寺の叡福寺に初詣に伺いました。

 古い破魔矢を社務所に置いて、今年の破魔矢を貰いました。

 金堂にお参りした後、太子御廟に参拝して 我が墓所に向かいました。
途中、『五字ケ峰』宝塔まで1丁と言う石道標を見つけました。
太子町にこの方40年ほど住んで、この間 何十回となくお参りしていて
初めて目に留まりました。 ??何だろう??
 道標の示す方向に坂道を上って行くと、あまり参拝者が登らないような
荒れ道の石段を上って行くと 10分ほどで坂の頂上へ着きました。
 頂上には『石塔』が立っていて石の結界に守られている様でした。

 「聖徳太子は二十七歳の時、黒駒に乗って天上を駆け、行脚をしている途中、
富士山頂に到達しました。
富士山頂から下界を見渡した太子は、西の方から五色の光に導かれてこの地を
訪れました。
太子はこの場所が他にはない素晴らしい霊地であると悟り、自分の墓をここに
造ると決めた。」 とされ 寺に伝わっていると言う話です。

 次回、訪ねる際には 『宝物殿』に寄って詳しい話を聞いてみたいと思いました。


2025 1月1日(水) 明けましておめでとうございます

2025-01-01 07:06:35 | 日記

   皆様のご多幸を心より お祈り申し上げます
  本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

   

  お断り
 花は多すぎた様です。 梅の花は、咲くのが遅くなり一部造花です。