我が事なので、結婚して50年の金婚を改めて記載する事も無いだろうと
放っていたのに、人生の節目として我が日誌として記録する事にしました。
【金婚式】
結婚50年を祝って、太子町で10月に金婚式を開催してもらいました。
太子町で申し込み者は、13組で当日の参加者は6組と少し寂しい式典でした。
司会進行により町長が祝辞を述べられ、一組一組が壇上に呼ばれて賞状と
お祝いの品(夫婦箸)を頂きました。
再度、壇上に上がり 全員で記念写真を撮って 閉会となりました。
下の写真は、記念に二人だけで撮ってもらったものです。
過ぎてみれば50年は長かったようで、「あっ!」と言う間の出来事のようでした。
【訃報】
10月も押し迫った28日。この日の夕刻 17時30分発 新門司行きのフェリーに
乗るべき準備をしている時、郵便物が届きました。
月一で来る退職者の為の会報を開いて見ると、身体が凍り付くほどの字が並んでいました。
『〇〇〇男』とその字が、「お悔やみ申し上げます。9月までに亡くなられた方々です」と
お悔み欄に載っていたのです。 何度 見直しても、その名は変わりませんでした。
数か月前に電話で話したばかりの友人がお悔み欄に載っていたのです。
(11月12日 追記 訂正 携帯の通話記録を見ると 昨年の12月でした)
船に乗る前に、彼の家に寄ってみました。一人住まいだったので住人が居なくなると庭には
雑草が伸び始めていました。
家を見て、記事は嘘では無かった様でした。 後は息子さんに連絡を取るのみです。
18歳の春、入社式の際 隣に座ったのが彼でした。『今高』出です。『布施工』出です。
と挨拶を交わしたのが出会いでした。
その後 一時期同じ職場で過ごした事もあり、60年の付き合いが続きました。
この後、私どもはフェリーに乗って九州に行ったわけですが、ずーっと彼の事を思い出しての
法事の前の旅でした。
ブログ掲載日 11月2日
退職者の会報を見落としてしまい、今朝Iさんのブログで初めて知りました。Sさんとは数年前に軽トラで私の住まいに寄り談笑したのが最後です。50年前にIさんの新婚旅行を見送りに行った際、Sさんも来ていたように記憶しています。不思議な縁を感じ、50年の時間が経過するのは本当に早いですね。
>朝から大きな衝撃を受けています。... への返信
昨年の12月に電話したのが最後でした。
息子の方に何とか連絡を取りたいと思っています。
又、鶴見の方に行かせてもらいたいと思っています。