麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

何を考えているのか・・・

2004年10月11日 | 親ばか
 同じ目線で見てみようと息子のDVD、漫画を見始めたのは冬休みに入ってからだった。甲殻機動隊、ガンダムW、吉田戦車・・・何だか訳のわからない作品も何度か見ていると少しずつ面白く思われるようになった。息子との時間の共有もプラスかなと思えたが、まだ時折目つき顔つきの変わる日が続いていた。家内の実家や妹の嫁ぎ先に年末の掃除アルバイトと称して気分転換に行かせた。お互いに気を遣った正月がそうして過ぎていった。

 3学期、登校拒否を心配していたが行くだけは行っていた。予習復習なしの教室はおそらく息苦しいだけであろうが、それでも完全勉強拒否が続いていた。3月に封切られる押井守監督の「イノセンス」が楽しみだ、5、6回は見ると言い続けていた。「イノセンス」、私も2度見に行った。難しい映画だったが、勉強拒否とどうつながっているのか、何を考えているのかわからない。アニメも漫画も勉強からの逃避の言い訳なのであろうか。アニメ制作に興味があるならその道もあるだろうが、やはり勉強は必要と言うのは親の勝手な見方だろうか。目的なく学校に行っても意味ないという。

「学校は目的ではなく手段でもいい、目的を見つけるための手段でいいじゃないか、4年間遊んでいたって何かをつかむと思う、学問以外に学ぶものが沢山あると思う」
「遊ぶんなら行っても仕方ない・・・、学校でなくても学べる・・・」

こんな会話が出来るだけ、少しはおちついてきたのかなと親バカしながら高校2年が終わった。

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弁護するわけではないが

2004年10月09日 | 親ばか
 息子の勉強放棄を弁護するわけではないが、これも親バカと言われるかもしれないが、この2年に息子に与えたであろうショックは親として申し訳なく思っている。それは、一昨年高校1年の5月に家内が子宮癌で入院したこと、昨年高校2年の同じ5月に今度は私が大腸ガンで入院したことである。親の入院、しかも癌という言葉がどれほど大きな衝撃を息子に与えたかを考えると、「人間どうせ死ぬんだから勉強したって仕方ない」という彼の言葉に返す言葉が弱くなる。
 親が二人とも癌にかかり、それでも病と闘って立ち直り元気にしているじゃないか、お前も頑張れよ、お前がしっかりしなきゃダメじゃないかと簡単には言えない。まだ15、16の未成熟な心に与えたであろう衝撃は、親バカ、甘いではすまされないと思うが、事実は事実として受け取り、立ち直れ、しっかりしろ、自分の未来を見つめろと言うのは酷だろうか。いや、そうしなければいけないと思うのだが、その方法が見つからない。
 何人かの教育に携わる友人に相談してみる。学校の教師に相談してみる。が、最終的には「本人の自覚を待つしかない」が返ってくる答えである。確かに本人の自覚しかないのだが、それを促し助ける何かがないのかと悩み苦しんで今日まで来てしまった。もう10ヶ月か、まだ10ヶ月か、本人も苦しんでいるに違いないが、私にも実につらくきつい時間が過ぎている。ただ一つ救いは、家では完全勉強放棄、TVゲームと漫画本だけの生活だが、中学高校6年間無遅刻無欠席のプライドがそうさせるのか、登校拒否せずに学校に行くことに救われている。おそらく予習復習もなく受ける授業は針の筵だと思うのだが、そんな息子の心にかすかな、かすかな、光を求めて、涙が出てくる親バカを今日もしている。
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顔つきが変わった

2004年10月08日 | 親ばか
 顔つきが変わる、目つき目の色が変わる、そんなことは言葉の形容だと思っていた。そうではなかった。12月半ば、塾へ行かない息子に「どうした、何かあったか」。

「もう勉強はしない、やっても仕方ない。どうせ死ぬんだから、勉強なんてやっても仕方ない」
「・・・」
「人間なんてくだらない、殺し合って、どうせ死ぬ」
「ずいぶんと短絡的な幼稚な理論だな、いずれ死ぬには違いないが、精一杯生きようとは思わないか。精一杯勉強しようとは思わないか」
「死ぬのに勉強はいらない」
「生きるために勉強するんだよ」
 ・・・
 ・・・・・

 どれくらいの時間だったろうか、つらい、苦しい会話だった。情けないと言うような情態ではなかった。優しい穏やかな息子の顔つきが、変わっていた。目つき目の色が変わっていた。息子自身そこに来るまで苦しみ悩みぬいてだったのだろうが、親として怖かった。恐かった。
 時間をかけよう、そう思った。今日はいい、少し時間をかけようそう思った。

 あれから、もう、10ヶ月が過ぎている。まだ10ヶ月なのか・・・。
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同じ思い

2004年10月08日 | 麻布十番
初めてのブログ、誰も見てくれないかなと思っていました。青森からコメントが来ました。うれしいですね。商店街経営にたずさわって20年だそうです。私は40年やってリタイヤ。まだまだやりたいこといっぱいですが、ちょっと今の若者について行けなくなった感じがします。私のような歳でも、やる気になればHPでもBLOGでもこうして作れるのに、ヒマがない時間がないと逃げている、前回通りと新しいアイディアが出てこない若者に何となくついて行けなくなりました。サクラ氏のような若者がまだまだ商店街に大勢いてくれること、うれしくなりました。
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何のために?

2004年10月07日 | 親ばか
「どうして勉強するのか、何のために・・・」
「幼稚園みたいなこと言うなよ」
「・・・」
「お前自身の為だろう」
「自分のためならやらなくてもいい」
「そうか、それじゃ今はお父さんの為に勉強してくれないか。いつかきっとそれで良かったとおもうから」
「・・・」

 昨年の秋、中間テストの最中だったかこんな会話を覚えている。その時はそれでも普通に試験勉強をしていたようで、あまり気にもしなかった。幼い悩み、遅れた反抗がその時は始まっていたのかもしてない。完全勉強放棄の1ヶ月ほど前だった。それまで特別勉強を強要したことはなかったし、自分からガツガツ勉強する方でもなかったが、そこそこの成績ではいた。そんなに勉強しなくても、まぁいいか、そのうちするようになるかなくらいに見ていた。
「2年生の後半になるとみんな変わりますよ」
と言われていたのだが、まさかそう急には変わらないだろうと思っていた。10月の運動会が終わり、修学旅行の北海道から帰って来ると、まず、友人が変わった。学校の帰りに毎日のように寄って遊んでいた友人が、パタッと来なくなった。一斉に受験態勢に入ったのか誰も寄らなくなった。そのことへの反抗が最初だったのかもしれない。取り残された自分自身への言い訳が反抗のきっかけだったのかもしれない。

「何のために・・・?」
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誰もが親ばか

2004年10月06日 | 親ばか
誰もが親ばか、親ばかだったはず。子育てが終わり、或いは子離れすると自分が親バカしていたことはすっかり忘れる。そして他人の親バカぶりを笑う。みんなより少し歳とって子どもに恵まれた私は、みんなより遅れて今親バカをやっている。甘いと言われる。確かに歳とってからの子どもは若いときの子どもに比べて甘やかされがちかもしれないし、金銭的にも若い子育てよりは楽かもしれないが、みなにくらべて特に甘いとは思っていない。少子化が進み一人っ子が多いこの頃、子沢山の時代の子育てに比べれば子どもへの目配り気配りは大きいし、その意味で甘やかしとか親バカとか言われるのなら仕方のないことかもしれない。今の子どもたちは反抗期が遅いとか、反抗期がないとか言われるのもわかるような気がする。決して親の言いなりと言うことではなく、子どももまた親への気配りがあるのかもしれない。その反抗期が遅れてやってくると、子どもっぽい反抗と違って真剣に考えさせられることがあるのではないだろうか。今、遅れた子育ての苦しみを深刻に味わっている。来年受験を控えて、受験のはずだった一人息子高校3年生に、勉強を完全に放棄されて10ヶ月になる。実につらい時間を、苦しい時間を過ごしているのは、私以上に本人なのかもしれないが、毎日がきつくつらい。
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チャリティーひろば

2004年10月04日 | 赤い靴
 麻布十番納涼まつりが終わって、いつもだと蓼科の山の中でボーっと過ごすのですが、今年は何故か家でボーっとしていました。この15年、納涼まつりの3日間は赤い靴の女の子「きみちゃん」のチャリティーをやってきました。我ながら良く続いたなぁと思っていますが、それ以上にお手伝いして下さる悪役俳優の山本昌平さん、女優の紅理子さん、作曲家の横山太郎さんには頭が下がります。一口に15年と言いますが、若いつもりの私も還暦を過ぎましたし、三人は私以上のお歳なんですよ。歳のことを忘れて、毎年当然のように「今年もよろしくお願いします」、「ハイ、行きますよ」とやってきたのですが、15年続けることって大変なことですね。恥ずかしいことですが、周囲の理解の無さに私の方が「もう、やめようかな・・・」と何度となく思ったことがあります。その度に、不思議と新しいめぐり合い、ご支援を頂いて今日まで続けることが出来ました。今年もきみちゃんを通して知り合った方々が3日間、ボランティアで手伝いに来て下さいました。イッツフォーフィーズの皆さん、ジャズ・クインテットの皆さん、童謡の会の皆さん、平尾昌晃ミユージックスクールの皆さん、クロスロードアクターズクラブの皆さん、大和証券社会貢献ボランティアの皆さん、そしてチャリティーにご協力下さった大勢の皆さん、本当にありがとうございました。皆さまからお預かりした浄財は、毎日きみちゃんの足元の貯金箱に入れられる浄財と合わせて来春ユニセフニ贈ります。世界の恵まれない子どもたちのために、どれだけ役に立つことでしょうか。そのお手伝いが出来ることをうれしく思い、きみちゃんのチャリティーがこれからも続けられることを願ってやみません。ありがとうございました。秋雨の続く今日、夏の疲れが今頃でたのかあくびの出そうなヒマな店番をしながら夏を思い出しています。

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コレクション

2004年10月04日 | 店声仁語
 お店のウインドウにアンティックなゴルフクラブが飾ってあります。年代はわかりませんがかなり古いもので、ヘッドには「niblick」と彫ってありますから今の9番アイアン。シャフトはヒッコリー、木製です。今のボールを打ったらひとたまりもなく折れてしまうでしょう。
ある日、背広姿、白髪の老紳士が入ってきて、
「君、ゴルフが好きなのかね」
「はぁ?」
「古いクラブが飾ってあるじゃないか。私も集めているんだよ」
彼の紳士、ウインドウのクラブを手にとって言いました、
「このシャフトね、木だけど丈夫なんだよ。ブロッコリーって言う木だ」
「?」
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お昼、まだぁ?

2004年10月04日 | 店声仁語
 我が家は職住近接、通勤時間 30秒。6Fが自宅、1Fがお店です。 10時 30分開店ですから、昼食は少し遅めでいつも2時過ぎに6Fで作って奥さんがもってきてくれます。ところが今日は2時半になっても奥さんが下りてきません。インターホンで6Fに

「お昼、まだ?」
「今、食ってるところ!」
「エッ!」
「だから、今、作っているところ!」

ちょっとびっくりしました。「つ」が聞こえなかったんです。

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商店街経営の難しさ

2004年10月04日 | 麻布十番
 同名のホームページ「麻布十番未知案内」(http://jin3.jp)の中で商店街の歴史を少し書いています。歴史を一覧表で書くとわずかなスペースで終わってしまいますが、実際には何か一つのことをやるのでも大変な時間と討論とエネルギーが要るものです。近代化を例にとってもそうです。古いアーケードを撤去するのに10年近い時間をかけて討論されました。北海道から九州までアチコチの商店街を見て歩きました。歩道のタイルひとつ決めるのに岐阜県の多治見まで工場見学に行きました。街路樹の選択、街路灯のデザイン等々きりがありません。地下鉄誘致もそうです。納涼まつりもそうです。歳末、中元の売り出し、節分、スプリングセール、花祭、秋祭り、酉の市、除夜の鐘、雪まつり・・・・、どれほど多くの時間をかけて討論し作り上げてきたことでしょうか。

 商店街経営の難しさ、街を経営すると言うのもおかしな表現かもしれませんが、一般の会社組織のようなピラミッド型ではない平坦な組織体系にその難しさがうかがえます。それぞれが社長の集まりで自己主張の強いものばかりをまとめるのは大変なことです。波風の立たないように、「まぁいいじゃないか」とか、 「みんな一生懸命にやっているんだから・・・」「みんなの意見を聞く、広く意見を聞く・・・」なんて人気取り的なトップでは街は発展しないと信じます。 一生懸命やったってダメはだめ、広く意見を聞いたって多数決で何でも決めるのではなく、時には多数決をひっくり返す決断が必要なこと、 逆に少数意見 に耳を貸す器量、判断力、指導力が強く求められると思います。 長年親しまれたCI、お中元セールのコピー「バンバンセール」は麻布十番の「バン」と「バンバン当たる」の楽しいネーミングでしたが、ただ長年使われたからと言うだけで変えられました。「夏のセール抽選券付き」に。微笑の街にかけて付けられた「ビッグスマイルセール」は「○○年ありがとうセール」になってしまいました。多数決の弊害ですね。昨年どおりの行事ではなくと言っても、意味のない変更は後退でしかありません。ここにも商店街経営の難しさが感じられます。
 「微笑の街」「アイラブ10バン」「バンバンセール」「ビッグスマイルセール」「パティオ十番」 「微笑のモニュメント」「赤い靴の女の子・きみちゃん」「カエルのお守り」・・・麻布十番ならではの、麻布十番らしいものばかりです。手前味噌ですがこれらのネーミング、CIは全て私が関わって作り上げてきました。これらのCIにもっと自信を持って発現してもらいたいですね。もちろん「麻布十番」という名前を大切にして、自信と誇りを持って 麻布十番らしい街づくりを続けて欲しいものです。単なる昨年どおりの行事ではなく 、新しい時代にあった新しいソフトを考え なくてはなりません。街の近代化は終わったのではなく、その時々の時代を見据えた街づくりを、麻布十番らしい街づくりを休みなく続けてい かなければならないのです。地下鉄が出来、ハード面での近代化が一段落した今、何故か過去を見て、後ろ向きにあら捜しをしている、新しい企画が出てこないように思えてなりません。 一見民主的な多数決は、常に正しい判断だとは限らないことに気がついて欲しいのです。
 近代化とは単に巨大ビル化することではありません。人の住める街づくりだと思います。本当に心休まる人の住める街、それはコンクリートで固めた巨大ビルではないはずです。アメリカのテロを見るまでもなく、あのようなビル街は人の住む街ではないこと多くの人々が感じたのではないでしょうか。大きな資本に飲み込まれて、人の住む街が街でなくなっていくのを、「仕方ない」「まぁいいじゃないか」で終わらせてはいけないと思います。麻布十番は、日常のにおいのする、ごく普通の心温かな気持ちの触れ合う街づくりを続けていかなければならないと思います。
 年寄りの愚痴のようになってしまいましたが、決して内部告発的な意見ではなく、私のような考え方のものは今は少数意見ですが少しずつ街に根付いていると信じています。小さな社会にありがちな声の大きさだけで単純に多数決される無知な社会であってはならないと思うのです。生まれ、育った街が好きだからこそ敢えて提言する一石になってほしいのですが・・・。
 
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