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★大銀杏が伐採されて三ヶ月、通りから少し離れて、建物の裏側に新しく鳥居が造られました。植栽された鳥居の横のスペースに、 5月13日、1mにも満たない小さな銀杏の苗が二本植えられました。鳥居の後ろに造られた石台には新しいお社が建てられ、六月四日に遷座祭が行われるそうです。この小さな銀杏が鎌倉の大銀杏のように元の根株から芽生えたものなのならいいのですが・・・。
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まるっきり伐採しっぱなしでなかっただけよしとしなければならないのでしょうけれど、この建物のサイトを見ると、敷地計画→
ランドスケープのページの図面には、あきらかに大銀杏のあった場所にアートを置くようになっています。「土地の記憶をテーマにした高須賀昌志氏作のアート作品を展示する」とかかれた計画図は、大銀杏とお稲荷さんがあった その場所にアート作品を設置するように最初から計画されていたのです。まさか「土地の記憶をテーマ」にしたというアートが、「銀杏の大樹」をテーマに した作品ではないと思いますが、やはりはじめからそのつもりだったのかと思われてなりません。この新しい鳥居もすでに図面に 描かかれていたのでしょうか、それらしい形が読めます。
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2月24日の大銀杏の無残な切り株を見る限り、この寒い時期に新芽がでるわけもなく、新しく植えられた銀杏の苗木を素直に喜べないのはうがった見方 でしょうか。 この再開発は「三田小山町地区市街地再開発組合」として地域住民の方々が参加して行われているようですから、このことは地域の方々も承知しての計画だったのでしょうか。だとしたら、今さら部外者の私がこんなことを書いてもしかたのないことです ね。しかし、何十年何百年も住み続けられる街づくりの、再開発の考え方がどこか間違っているように思われてなりません。 地域を守護してくれた大銀杏を、自然への畏敬の心で祀り護ってきたお稲荷さんが、新しい立派なお社と鳥居を望まれたのでしょうか。
地域住民の皆さんが承知しての伐採だとしたら、こんなこと書いても余計なお世話ですね。
←2月24日の切り株、跡形もなく整地されたその後 新芽が?
5月18日に前を通ったら、かのアート作品とやらがすでに設置されていました。はじめからご神木を伐採する計画だったこと、情けないですね。