麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★赤い靴の女の子「きみちゃん」とアンネ・フランクの像

2007年07月30日 | 赤い靴
★遠くから赤い靴の女の子「きみちゃん」を訪ねて来られた方が続いた。北海道札幌から7月27日、札幌山鼻地区に記念像を計画されている会の一人で山鼻新聞の編集委員の永喜多宗雄さんが、そして今日30日には同じ札幌から日本近代文学会員の北村巌さん夫妻が訪ねてこられ、それぞれ一時間近くも熱心に赤い靴談義をしていかれた。「きみちゃん」を通して母と子の愛の絆を、親子の愛の大切さを語り伝える想いは皆さん共通して熱く、決して像を観光や宣伝に使ってはいけない、作りっぱなしではいけないと話される。麻布十番のきみちゃんが18年も途絶えることなく続けている子どもたちへのチャリティーに惜しみない賛辞の言葉を下さる。一方で、きみちゃんのお話を7年の歳月をかけて調べ発表された菊地寛さん(現北星学園大学教授)の説に誤りがあると指摘し出版する方がいるという。しかし、きみちゃんのお話に学問的正確さは必要でしょうか。100年も前にわずか9才でひとり寂しくなくなったきみちゃんは、今も9才のまま世界の子どもたちのために歩き続けているその事実に間違いはなく、世界の子どもたちのために母と子の愛を、親子の愛の絆の尊さを訴え続けている事実に何の誤りもないことを、あらためて語り合ったのでした。北村さん夫妻がきみちゃんの眠る青山墓地にも行ってみますと帰られたのと入れ違いに、母娘二人連れの方が入ってこられました。

 「 2月にきみちゃんにかけられた赤いマフラーのことを新聞で見たのですが、あのマフラーはどうなりましたか」
 「赤いマフラー、とってありますよ。」
 「よかった、あの時メールをしたものです」
 「あっ、アンネ・フランクの写真を添付されたメール?確か西宮の赤松さん?」
 「そうです、覚えていてくださいましたか」

ご主人が撮った西宮市甲陽園の聖イエス会アンネのバラの教会の庭に建つアンネ・フランクの像のDVDを持ってきて下さいました。バラに囲まれたアンネの足もとには、
 「世界と人類のために働きます アンネ・フランク」 (I shall work in the world and for mankind. Anne Frank) とかかれていました。15才でベルゲン・ベルゼン強制収容所で亡くなったアンネ・フランクもまた、世界と人類のために今も15才のまま世界中で歩き続けているのですね。きみちゃんにも、きみちゃんのチャリティーにも多くの理解者がいてくれると、遠方からの励ましに心強く、また、心和む一日でした。遠くからのご来街、そしてチャリティーへのご協力ありがとうございました。

赤い靴の女の子「きみちゃん」
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★赤い靴の女の子「きみちゃん」の親子三人像に思う

2007年07月11日 | 赤い靴
★六本木のホテルアイビスで先日、『「赤い靴」きみちゃんアカデミー』という催しがありました。会への参加を呼びかけるリーフレットには、『童謡「赤い靴」の女の子きみちゃんの短く悲しい生涯から、親子、家族の絆、子どもの人生 をみんなで考えてみる、そして、そういう輪を広げていきたいと考えています。』と書かれていました。会の主催者から「きみちゃんについて、子どもたちのためのチャリティーについて話してください」と、きみちゃんについてのいわば語り部役を頼まれ、その会に参加してきました。きみちゃんに興味を持 ち参加された方は15名、女学校の先生、主婦、大学生、少年院の教官、大学教授等々様々で、それぞれすでにきみちゃんのことはかなり詳しく調べている方でした。麻布十番と赤い靴の女の子きみちゃんとの出会いから話し始め、像の完成、チャリティーのはじまり、広がり、今、 そしてこれからと私の知っているきみちゃんについて話し、きみちゃんを通して出会った大勢の方々との交流の輪について、またそこから学んだいろいろな思いを話してきました。最後の質問の時、少年院の先生からこんな質問をうけました。「今、五つ目、六つ目 、七つ目のきみちゃん像がそれぞれきみちゃんゆかりの地、北海道・小樽、札幌、青森県・鰺ヶ沢に計画されているそうですが、小樽と鰺ヶ沢の二つが今までのきみちゃん像と異なり親子三人の像と うかがいました。何故、親子三人の像なんでしょうか。親子の絆、親子の愛情を訴えるのなら、きみちゃんの母・かよさん、義父・鈴木志郎さんにはきみちゃんとは義理の妹になるお子さんもいる とうかがっていますが・・・」というものでした。一瞬 ドキッとしました。新しい像が出来ることを、きみちゃんを知ってもらい、母子の絆の大切さを知ってもらう機会とよろこんでいましたが、親子三人の像をそのような観点から見ることをしませんでした。おそらく小樽、鰺ヶ沢の 親子像建設に関わっている方々も同じではないでしょうか。こんな応えを返したのですが、皆さんはどうお思いでしょうか。
 「親子三人の像が出来ることを単純によろこんでいました。きみちゃんのお母さん・かよさんは後に鈴木志郎と再婚して、きみちゃんの義妹にあたる「のぶさん」「その さん」、子どもたちに恵まれていますね。そうですね、親子、家族の絆を考えると言うのでしたら、確かに三人の像でなく家族五人の像になりますね。でも、こう考えたらどうでしょうか。のぶさん、そのさんたち妹は、ご両親のかよさん、志郎さんとずっと一緒でした。開拓農場、郵便配達、炭坑夫、樺太で 伝道師としての布教活動と厳しい生活だったようですが、親子一緒に苦労をともにし、また楽しみもともにして過ごしたのではないでしょうか。きみちゃん一人が、三才で宣教師 ヒュエットさん夫妻の養女にだされ、五才で孤児院に預けられ九才で一人寂しく亡くなっていたのですから、今、親子三人仲よくならんだ像を創って、きみちゃんゴメンねと言いながら亡くなったかよさんの思いを、親子の絆の大切さをきみちゃんを通して伝えていく。私は親子三人像の建設委員ではありませんが、そのように思って頂ければきっときみちゃんもかよさんも志郎さんも、よろこんでくれるのではないでしょうか」。(カットは小樽の親子像の予定デザインから)

赤い靴の女の子「きみちゃん」
コメント (2)
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