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「どちらからですか」
「大阪です。2月だったか、赤いマフラーのきみちゃんの新聞読みましたよ」
「麻布十番のコアになっていますね。こういうものを大切にする街っていいですね」
「そう、わざとらしく作られたコアでなく、長い時間をかけて自然に育ったコアって感じがいいですね・・・」
「ありがとうございます」
何となく照れくさい思いで聞きながら、絵はがきを渡していました。遠くからきみちゃんを見に来られ、きみちゃんが麻布十番の核になっていると言われる、きみちゃんを大切にする街をいい街と言ってくれること、うれしいですね。
パブリックアートを取りあげた月刊「チャイム銀座」6月号(発行所 (株)和光) にこんな事が書かれている。
「・・・周辺環境との調和を考えて制作されるパブリックアートだが、作品が完成し、特定の場所に設置されたからといって、その役割が完了するわけではない。美観を維持するためには十分な保守管理が必要であり、地域住民の理解も大切だ。パブリックアートは人々に愛されることで、その場所に定着するのである。その好例が、東京の麻布十番にある少女像『きみちゃん』だ。童謡『赤い靴』の主人公をモデルとする『きみちゃん』像は1989年(平成元年)の除幕式の時から人々の共感を呼び、周囲には常に花が飾られ、美しく整えられている。地域社会にしっかりと溶け込み、その場のイメージを高めている優れたパブリックアートとなっている。・・・」
麻布十番にはきみちゃんの他に、12の微笑のモニュメント、「雲」「布」「碧翔」などの大きなモニュメントもある。どれもが美しく整えられ、地域社会に溶け込み、イメージを高めているだろうか。モニュメントの周りには自転車が置かれ、傷つき、灰皿代わりになっているものさえある。モニュメント近くのお店が掃除をするとか、設置された場所が不都合なら他の場所に移設するとか考えなければいけないのだが・・・。「やっと許可得て設置した。そう簡単に移設できない」と返事が聞こえてくるようだ。でも、やってみなくては。担当者を決めて保守管理をやらせるのではなく、自主的にされてこそ優れたパブリックアートと言われるのだろう。その意味で、このような言葉を照れくさく思うのは私だけでなく、もっと多くの商店街の人(役員)が恥ずかしく感じて欲しいものである。
「きみちゃん」