★先日、「麻布十番未知案内」を見て、もしかして城南中学の同級生ではないかとメールしてきた長野県松本在住のA.Sさんと55年ぶりに再会した。信州大学人文学部を定年退官し、今は名誉教授、また、日本棋院アマ七段の囲碁は趣味の域を超えての活躍のようだ。いかにも教授らしい風貌は外で会ったのでは、彼と気がつかなかっただろう。お互いに15歳の少年の面影をさがすように話はじめたが、いつの間にか中学一年生の私と彼がそこにいた。500名もいた同期生の中で、しかも同級だったのは一年生の時だけの彼を、不思議なほどよく覚えていたのは何故だろう。どこか性格的に似たところがあったのだろうか。懐かしい時間が瞬時に流れ、気がつくと古稀を過ぎたふたりがそこにいた。
帰り際に
「もう70歳だけれど、こんな言葉があるよ。『40、50はなたれ小僧、60、70働き盛り、90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ』。そんな調子で、まだまだ元気で過ごしたいね」
この「麻布十番未知案内」は赤い靴の女の子「きみちゃん」のことを知ってもらいたくて立ち上げたサイトだが、どこかで誰かが見ていてくれる不思議な縁を感じた一日だった。A.Sさんの言葉と同じような言葉に
「50、60ははなたれ小僧 男盛りは8、90」 というのがある。これは戦前の安田財閥の創始者安田善次郎が浅野財閥の浅野総一郎に送った狂歌だそうだ。いろいろパロディーがあるらしいが、
「90になって迎えが来たら 100まで待てと追い返せ」の続きがあるらしい。
「百になって迎えが来たら 耳が遠くてきこえません」。
こんな言葉の遊びができるといい。
55年ぶりの中学同級生との再会、涙がでるほどうれしいひとときだった。
★ゴールデンウイーク いかがお過ごしでしたか。五月晴れとはいきませんでしたが、5日こどもの日は晴れ、白金の清正公に行ってきました。我が家では父仁作のころから、清正公の勝ち守りをうけることを続けています。父が麻布十番に店を構えたのは明治44年(1911)ですから、この勝ち守りは我が家では100年続いて頂いていることになります。
清正公は最正山覚林寺という日蓮宗のお寺で、寛永8年(1631年)の創建です。弘化2年(1845年)火災により焼失しましたが、山門は安政3年(1856年)に、清正公堂の拝殿・幣殿は慶応元年(1865年)に再建されました。祀られた加藤清正公の武運から、白金の清正公さまとして知られています。
5月4、5日の大祭の勝守りには「菖蒲の葉」が入れられ、勝負に勝つとの縁起から、合格、病気、交渉事等々に勝つお守りとして参詣されています。清正公堂の扁額には「破魔軍」と書かれていますが、この書は有栖川宮熾仁親王によるものです。また、江戸最初の七福神巡りといわれる山手七福神の一つで、毘沙門天が祀られています。
麻布十番から白金の清正公さままで歩いて30分ほど、日頃の運動不足解消に往復歩いて行ってきましたが、万歩計の数字は7068歩。なかなか一万歩には届きませんね。