麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★「紳士過ぎて経営が心配!」って書かれちゃった、アハハ!

2008年05月17日 | 赤い靴
★ヒマな店番に疲れてネットサーフィン、「赤い靴を追いかけて」と題したブログに行き着いた。結構大きなスペースで書かれているのですが、幾つかのミスがあるのが気になりました。それでも、私が追いかけてきた「赤い靴」を否定されたものではないという意味では、ほっとしています。北海道テレビの記者だった現北星大学教授の菊地寛先生の「赤い靴をはいていた女の子」がベースになっていることは明らかなのですが、菊地先生が7年の歳月をかけて調べ、今広く知られるようになったこの「赤い靴の女の子」のお話を、「・・・私なら、きっと、6年もかけずに、1/10のコストで1ヶ月程度で発掘できるとは思う。」と書かれていることは如何なものでしょうか。まだ像が出来ていない青森県鰺ヶ沢に像があると思いこんでいること、横浜、日本平、麻布十番、留寿都、そして鰺ヶ沢ではなく小樽に創られた像をすべて商業主義といっていることは少し間違っていないでしょうか。
 麻布十番のきみちゃんに関わってきた私は、きみちゃんを商業的に見たことは一度ありませんし、街のみんなも同じ思いでしょう。だからこそ、赤い靴のチャリティーは自然発生的に生まれ、20年という永い時間を歩き続けることが出来たのではないでしょうか。 このブログには「・・・さて、違和感を体感するために、私が歩き始めたのは、まだ時折、雪も降る頃からだった。まず、麻布周辺を歩く。最近、募金の累積が1000万円となったきみちゃん像のあたりには、あまり感じるものがなかった。」とも書かれています。何も感じないのもまた感性なのでしょうか。そして、「・・・募金の元締めの洋品店のご主人は、もの優しそうな方なのだが、逆に紳士過ぎて洋品店の経営が心配になってしまう。」 と続きます。これには何とも返す言葉がありません。「元締め」という言葉遣いもまた情けない思いです。
 誰もが気軽に書くブログに目くじら立てることもないのですが、「6年もかけずに1ヶ月程度で発掘できる」というその人が、青山墓地にあるきみちゃんのお墓を探すのに3回も足を運んでやっと見つけたと書 いていることがおかしいですね。ゼロからはじめる難しさ、或いはゼロの存在に気が付くことの難しさをあらためて感じたブログでした。
 蛇足ですが、紳士過ぎて経営が心配?いいですね 。あくどく儲けて生き続ける商売なんて、したくもないですね。優しそうな方に見えましたか?いいですね。息子がまだ7、8才の頃 「男の子は強くなくてはだめだよ。強いってことは優しいってことだよ」と禅問答みたいな会話をしたことを思い出しました。まだ幼いこどもとの会話です。優しそうに見えましたか?でも 、こんなことを書く強さ?も何時かネットサーフィンでここまでたどり着いたら感じて欲しいですね。
 
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★セーラームーンは今31才のおばさん?火川神社は・・・

2008年05月08日 | 店声仁語
★歳のせいか書くことがだんだん少なくなりました。麻布十番商店街の広報紙「十番だより」に寄稿している文の転載でインターバルをつめて \(^^:;)...マアマア


   DISCOVER JUBAN   麻布十番再発見!  ─ 4 ─

榎本健一さん、音丸さんとちょっと古い話題が続き、ローリエさんってすごくお歳?と思われそうなので今月は少し若々しくセーラームーンと麻布十番について。ついこの間のように新しい話題と思ったのですが、セーラームーンの母体となった「コードネームはセーラーV」が雑誌「るんるん」に掲載されたのは1991年7月、雑誌「なかよし」に「美少女戦士セーラームーン」の連載がスタートしたのが1991年12月ですから、もう17年も経っているんですね。そうするとあの頃、十番中学2年生14才だった月野うさぎことセーラームーンは、今31才のおばさん?これじゃ夢がなくなりますね。

登場人物の月野うさぎ(セーラームーン)、水野亜美(セーラーマーキュリー)、木野まこと(セーラージュピター)の三人は十番中学2年生14才、愛野美奈子(セーラーヴィーナス)は芝公園中学、ちびうさ(セーラーちびムーン)は麻布十番小学校、火野レイ(セーラーマーズ)はT.A女学院、そして地場衛(タキシード仮面)は私立元麻布高校となっていますね。十番中学校は当時の城南中学校(現六本木中学校)、麻布十番小学校は南山小学校、T.A女学校は東洋英和、元麻布高校は麻布高校がそれぞれモデルでしょうか。今地下鉄の4番出口のところにあった十番商店街の広告塔もそのまま絵になっていました。マクドナルドになったパチンコ・クラウンはゲームセンター・クラウン、一の橋公園、網代公園、仙台坂上バス停等々麻布十番周辺の風景がアレンジされて登場しました。そして火野レイが巫女をしていた火川神社の拝殿は元麻布の氷川神社の拝殿そのもののようでした。

どうしてこんなに麻布十番がセーラームーンに登場したのでしょうか。原作者の武内直子さんは芝公園にあった共立薬科大学(現慶應義塾大学と合併)の学生時代、また大学卒業後半年間慈恵医大病院に勤務していた頃、麻布十番付近に居住していたからと言われています。特にセーラームーンを描き始めた1991年から1992年にかけて十番商店街の永井薬局さんのマンションに住んでいました。商店街の集まりで永井薬局の山地さんに「今売り出し中の漫画家です」と紹介され、恥ずかしそうに挨拶されていた武内直子さんを覚えています。元麻布の氷川神社は知る人ぞ知るセーラームーンの「聖地」として多くのファンが今でも参拝に訪れるそうです。

その氷川神社は天慶五年(942)の勧請、一本松の松木をご神木とし、旧町名に宮村町、宮代町、宮下町、鳥居坂町等といった社に関連した地名を見るように麻布の総鎮守府として、また江戸氷川七社の一社として崇敬されてきました。戦災に遭遇しましたが千貫宮神輿、神楽殿、手水舎は難をのがれ、また本殿も再建され、幾つもの大使館に囲まれた国際色豊かなお屋敷町のお社として広く人々に崇敬されています。神社におまつりしてある毘沙門天(港七福神)はめずらしく、勇気と財福寿を授け与える神さまとして信仰され、秋祭りには神楽殿でお神楽も行われます。もしかして宮司が夢だった巫女の火野レイ(セーラーマーズ)に遇えるかもしれませんね。

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