麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★戦争の傷跡を今も残す 麻布山 善福寺の「逆さ銀杏」

2008年11月01日 | 店声仁語
★「十番だより」11月号に寄稿しました。
DISCOVER JUBAN   麻布十番再発見  ─ 9 ─

 秋になるといちょうの木の黄葉がそこここに見られます。麻布十番周辺でも一の橋から二の橋へのバス通りの街路樹はいちょうです。また、網代公園、賢崇寺、善福寺にも大きないちょうの木があります。銀杏、公孫樹、鴨脚樹といちょうを表す漢字も幾つかありますね。いちょうは雌雄異株でギンナンのなる雌株とならない雄株があります。「さかさ銀杏」「杖いちょう」と呼ばれている麻布山善福寺のいちょうの樹は雄株、大正15年に国の天然記念物に指定された大木です。
 善福寺の境内にあるこの大いちょうは、貞永元年(1232)、親鸞上人が京都への旅の途中に立ち寄ったときに、持っていた杖を地にさし、「念仏の求法、凡夫の往生もかくの如きか」と言われると杖が根付き枝葉が繁茂したといわれて、「杖いちょう」の名前の由緒になっています。また、つらら状の枝(気根・乳根)が上から何本も垂れ下がり、まるで根が上にあるように見えることから「逆さ銀杏」とも言われています。樹齢約750年の大いちょうは、樹高約20m、幹周り10.4mもあり、いちょうの木としては都内最大のものとして国の天然記念物に指定されています。
 善福寺一帯は、昭和20年5月25日の空襲で多くの焼夷弾をうけ、本堂は全焼、いちょうの木も大きな被害を受けましたが、今では本堂も再建され、逆さいちょうも樹勢強く生い茂っています。戦後60年経った今でも黒く炭化した焼け跡が痛々しく残っています。また、「江戸砂子」には乳の出が悪い母親が、このいちょうの樹皮で治療すると乳の出が良くなると噂され皮を剥ぐ者が後を絶たなかったので、周囲に垣根を作って禁止したと書かれています。乳根(気根)が何本も垂れ下がっている様子が「乳の出」につながったのでしょうか。
 麻布十番周辺ではこの「逆さいちょう」や賢崇寺の大いちょうのほかにも大きないちょうの木があります。一ノ橋と中ノ橋の間、三田一丁目(旧小山町)にあるいちょうの木は、樹齢約400年といわれ根元に銀杏稲荷大明神(白滝稲荷神社)をお祀りしています。
 芝公園の東照宮境内のいちょうは、目通り幹周り8m、樹高30mで、1639年の東照宮再建に際して三代将軍家光公のお手植えと伝えられています。巨大な3本の枝が伸びている姿は見事で、都の天然記念物になっています。都内のいちょうの大木は、このほかに府中の大国魂神社、雑司ヶ谷の鬼子母神にあるものが有名です。東京都のシンボルマークは東京のTといちょうの葉をデザインしたものですね。神宮のいちょう並木も黄葉の美しい季節になりましたね。   (焼けて炭化した戦争の傷跡が残っています 写真右下)

コメント
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