これが、ね。
初めまして、な葉っぱなんです。^^
綺麗な薄紫色で中心へぼかしていってる。
なんて名前なのかな~
で。見つけました~。v(*'-^*)ゞ・'゜☆
今年も、山椒の葉に居ましたよ~
カメラ目線を頂戴しましたっ。
なぁんて、ね。
本物の目は見えていません。
こちらが本物の目です。
ゴマのような黒い粒がそうです。(*≧m≦*)
これが、ね。
初めまして、な葉っぱなんです。^^
綺麗な薄紫色で中心へぼかしていってる。
なんて名前なのかな~
で。見つけました~。v(*'-^*)ゞ・'゜☆
今年も、山椒の葉に居ましたよ~
カメラ目線を頂戴しましたっ。
なぁんて、ね。
本物の目は見えていません。
こちらが本物の目です。
ゴマのような黒い粒がそうです。(*≧m≦*)
義父が施設にいることで、少しづつ変わってきているのは当然のこと。
おおっぴらに変えることは無いが、現状維持することも大切なことで。
例えば、畑。これは必死といっていいほど、主人が頑張っている。
朝も今までは、10時頃起きてきて、仕事に出て行くというパターンが、今や、6時には畑に出ている。
私は朝の写真を撮りながら・・・・ 変な感じです。
主人も、自分の好きなように、無農薬を目指し、本を読んでは見よう・見真似で精を出している。
精を出すというよりは、根をつめてる感じ。
少々、芽が枯れたといっては、悩んだ様子で。そんなに一生懸命では続かないぞっと、言う。
今年は勉強するつもりで、上手くいったらそれを来年の参考にしてやったら良いからと言う、私。
だから、水やりも何も私は手を出さない。
と。こう思うとき、義父が畑にいたころも、決して私は手伝わなくて、良かったんだと。
自分は、年老いた義父が畑にいることを、どうして無理しているんだろう、そんな義父に手助けしない私はなんだろう・・と思っていました。
世間では、年寄りの趣味だから、生きがいだから、ボケ防止にやらせておくことが良いことだといっていました。
私もそうだそうだと同調していました。
が、実際自分の家で、暑い日も、雨の日も、作物のために外に出ている義父には、なんで天気が分からないんだ? と腹も立てていました。
倒れたりしたら、具合悪くなったら・・・と。
でも、今、こうして、主人が自己流で、悩みながら楽しんでいると思えば、私良かったんだと、思うんです。
何か、自己肯定しているようですが・・・
そして、毎日、庭木を眺めては、むさくるしさも排除しつつ、枯れたもの、大きくなりすぎたものなどを、義父の了解を得ずにできることで、随分とさっぱりしました。(まだまだですが)
その最たるものが、ボタンです。
このボタンは何度も写真を撮っていたほどの、我が家の代表木・・・・←なんて言うんだっけ。。
見上げるほど大きくて、回りにも随分寄りかかり、日陰を作っていました。
ちょっと枝を折ると簡単に折れてしまいました。
花も小さくなった今年、思い切り折ったんです。枯れたら・・・枯れただ・という強気で。
でも、下からは新芽も出てきているのを毎年見ていました。
植物は強いですね。
感心します。
そして、折ったことも、良かったと思いました。
来年はこんもりと、目の高さに大きな花を咲かせてくれるだろうと思います。
義父の施設代として、月に14万ほど支払っていますが、いつまでこのお金が支払えるだろうか・・・
私には一切言わない主人は、義父からどれだけ託されたりだろう・・・
まだちょっと怖くて聞けません。
有ればあったで、ほっとする、底をついてるならついてるで、不安になる。
それを私が主人に見せるのが嫌です。
母のとき、私は全部自分でやりました。それを微塵も知らない主人に見せたくないです。
しかし・・・・
今年、義父の妹のだんなさんから頂いた年賀状に、
「○○ちゃんには頭が下がる。大変ななか、嫁さんと話し合って看てやってください。」
というものでした。
主人に労いと、私と協力して、というたったこれだけの一文に、温かいものを感じました。
嫌いな義父の嫌いな妹のだんなさんということで、そういう優しい感情は今までありませんでした。
ただ、血のつながりはないので、兄弟たちとは、雰囲気は違っていました。
故郷に哀愁があるんだよ、年をとるごとに、恋しくなるんだよ、とその叔父さんは盆に言っていました。
東京から自分の車で来ては、実家に行く前に家に寄っていきました。
それも、だんだんと身体がいうことがきかなくなっていきます。
年をとっていくんだなぁ・・・・・・
私も。ここにきて、20年が過ぎ、9月2日がくれば、22年目になるんだなぁ・・・